「わたしのなまえはなんですか。」
ついに質問してやった。
今日の学校はいつもよりも何故だかとても
静かな感じがしたのは
朝から鳴り止まない強い雨の音のせいだったのかもしれない。
おかげでわたしは
日頃伝えたいと思っていたことを彼に聞くことができて
なんだかむちゃくちゃだったけれど
「きょうあなたと一緒に帰る」と
前置きなしに言ったりしたのだった。
4、5人でぞろぞろ傘をさして帰る帰り道
わたしは隣にならぶ同じクラスの女の子と
たわいもない話をしながら
早足で目の前を行くロドリゴの青い傘を見失わないよう
一生懸命だった
そしてふと
彼が後ろを振向いた瞬間からはじまったこの会話
「わたしの名前しってる?」
彼は私の質問の意味がわからずにきょとんとしていた。
どうして私がこう聞いたかと言うと、
ただ単に名前を呼んでほしかっただけだ。
わたしはロドリゴが誰かの名前を呼ぶのを聞いたことがなかった。
国の習慣なのか個人の性格なのかよくわからないが
とりあえず何となく呼ばせたかったので
またも前置きなしにこの質問をぶつけたのだ。
毎日のように先生が皆の名前を呼ぶので
彼がわたしの名前を知らないはずはなかった。
でも彼は
質問の意味は理解できても
質問の意図がまったく理解できずに困惑した。
わたしは、
「わたしの名前しってる?
なぜかとゆえば あなたが私の名前を呼ぶのをきいたことがないからさ」
と説明した。
「呼んでみてよ」
「わたしのなまえ」
こうして始まったふたりの会話。
「どうして?」
「いみがわからない」
という答えが返り
フランス語がへたくそな私よりも
さらにへたくそなロドリゴは
いつも二言三言めに英語に切り替えてくる。
いつもどおり次第に英語まじりになって
それでも私の言いたいことと意図が
中々伝わらなくて彼が困惑する。
わたしはひとこと
「まい」と
彼の口から聞けたらそれで良かったのだけれど
わけが分からなくなって混乱した彼は
まき舌混じりに母国語のスペインごで何かしきりに言う。
わたしもたぶん日本語で
「だーかーらーあ!」くらいは言ったかもしれない。
そして方向が別れる小さなスーパーの前で
延々そんな押問答を繰り返して
気付いたら何人かいた他の生徒の子はもう居なくて
ふたりだけ残されていた。
フランス語と英語とスペイン語が
ぐっちゃぐちゃになって雨の音と混ざり合って
なんだかわたしもその中に一緒にぐちゃぐちゃになって
彼が目の前にいることが
ただやたらしあわせだったその日。
ひとしきり何かを喋ったあとに
ふたりはもう一回ゆっくりのフランス語に
戻ってきて
「何か怒ってるの!?」
「だからそういうの!?」
「怒ってるの!?ねえ!」
と
もの凄く心配そうに
私と自分の顔を交互に指差しながら言った。
誤解を招きまくっているこの状況に
わたしも負けじと必死になって
「ちがう!」
「全然ちがーう!」
「全然怒ってない!」
と
一番の笑顔を見せて
「違うの。ぜんぜん怒ってるとかじゃなくて。
わたしがこうして呼ぶでしょう?」
「ロドリゴ、ロドリゴ、ってこう呼ぶでしょう?」
「でもあなたはーーああああ
だから!」
「わたしの名前をしってる!?って!!!」
くどいようだけれど
今日という日が
真っ暗で雨音が強く鳴り響いていて良かったとおもう
だからわたしは
言いたいことも自分の想いも
全部溢れて吐き出せたんだろう
そしてやっとのことで漸く
すべてを理解したロドリゴは
「MA….MA…..」とゆった。
わたしはまっすぐ彼の顔をみて
「M-A-I !!!」とゆった。
彼は
「国によって全然発音の仕方が違うだろ?だから
すごい失礼になるかもしれないじゃん!ておもって」
と早口の英語で一通り説明したあと
「マイ!」
「マイ!」
「マイ!」
と連続して私の名前を呼んだ。
フランス語で5月という意味の「MAI」
いつも「メー」と呼ばれがちな「MAI」
彼はほかのだれよりもはっきりと正しいおとで
わたしの名前を、
呼んだ。
すごくどうでもいいことで
すごくちいさな出来事だけれど
わたしは最高にうれしくなって
「ほんとうにうれしい!
すごくすごくうれしくて、大満足だわ!ロドリゴ!」
「ほんとうにうれしい!ありがとう!」
と言った
するとロドリゴは
「えっと、うれしいの?
アンタ、マイ、マイ!」
とゆった。
そうして
やっとのことで私達は雨の中、
いつものように
「またあしたね」と
手を振って、
別れた。
毎日通るとってもちっちゃなスーパーの前で
ふたりとも
気付いたらびしょぬれになって繰り広げた
拙すぎる、フランス語での会話
こっちにきて初めてわたしはこんなにも
感情的になって
こっちにきて初めてわたしは
誰かとちゃんと、向き合って話をした気がした。
ことばが伝わらないからこそ、
伝わる何かがあるということが
今まで体験したことのない
とても不思議な感覚とともに理解できた瞬間
雨が強く降り続いて
いつもよりもやたらひどく寒かった今日という日を
真っ暗で底深く蒼かった今夜という
暖かい夜を
わたしはきっと忘れないだろう。
「マイ!」と
連呼されたそのとき
ハイタッチして抱き締めたかったけれど
たぶんわたし以上に彼が私を抱きしめたかったに違いない。
じぶんの名前をこんなにも愛おしいと思ったのは
もしかしたらはじめてかもしれないな、と思った。