そう私は
南京西路を歩いていた。
外灘まで出るために。
きらきら輝く安っぽいネオンを背に向けて
汚い歩道をヒールのかかとを鳴らして歩くのだ。
あと数10メートル抜けたら
shanghaiのシンボルを望む外灘だった。
汚い人の波をかき分けて
いつもの体の角度で歩く
けして波に飲み込まれぬよう
背筋はできるだけ伸ばし、しっかりと顔を上げて
目線だけは少し斜め下に下げる
余計なものを目に入れない為に
それが数日この町を歩いた結果のわたしの定番となった
欧米人のツーリストと
目を合わせてはその都度半分だけ口角を上げながら
ごみごみしたこの国をさらに雑然に彩る観光地
そしてそのとき
それは起こった。
左手にふと現れたpeace hotel
外灘の風景は旧租界時代の建築物が残ることで有名で
それとあってさすがに
大きく聳え立つ荘厳な石造りの建物たちは
たしかに古いヨーロッパを思わせる
何度か歩いて何の気なしに思いはしていたけれど
思わず目をこすってしまったのは
今夜
たくさんの偶然の重なりのせいだったのだろうか?
そこで起こった
dejavuは
そう
半年前に
まだ真冬の冷たい季節
ぐるぐるにマフラーを巻き
ひとりきりで呆然と見たあの夜景
胸の奥だけじっと熱く
静かな鼓動を抱えて歩いた
Geneveのレマン湖のほとりだったのだ。
それは間違いなく
デジャヴと呼ぶにふさわしい現象
丸が三つ並んだ有名な上海の東方明珠
それが目の前に現れ正面に立ったとき
わたしは思わず息をのんだ。
あのとき感じた
おなかの真ん中のあたりを
ぎゅっと強くつかまれる感覚
冷たい頭と手先とは間逆に
熱をおびた身体
首の後ろから背中にかけて
走る光
その間
わたしは
立ち止まるわけもなく
そのまま歩き続け
くるり進行方向にむかって右折をし
その外灘の景観を左手に変えて
引き続きもういちど大きく歩幅をとりながら進んだ。
ひとつだけ。
今度は
目線をまっすぐにあげて。
こぼれおちそうな涙を飲み込むために。
その夜
いまから行く場所のせいだったのか
いまから会う人のせいだったのか
生ぬるい何かを運ぶような
おかしな夜の風のせいだったのか
それはまったくわからないけれど
スイスのジュネーブの
レマン湖を囲むその夜景と
shanghaiの一等地は
コピーの国と呼ばれるにふさわしく
わたしには
夜景までもが間違いなくコピーに見えた。
それほどに
まったく違うのに
まったく重なって
さらにこの瞳を通してにじむ風景
Geneveは空気は澄み 空は抜けきって
おもいきり深呼吸がしたくなる美しい都市
きらきらまぶしい緑色に囲まれた
鮮やかでわたしにとって桃源郷のような幸せな町
初めて強く憧れを抱いたその
世界一小さな国際都市と
グレーにくすんで
光化学スモッグと
一日中鳴り響く工事の騒音と町を
歩いただけで、汚れる洋服
道端に倒れこむ物乞いの人々があふれるすぐそばで
外灘の夜景を肴に乾杯をする
おどろおどろしい生命力に満ちたこの都市
対極に位置する二つの水辺の淵に
わたしが
見て背筋に走り抜けたその感情の原因はひとつ
ただひとつ
そこに
「世界」を見たからだった。
2007年、夏。
わたしは本当ならばGeneveにいるはずだった。
その憧れを抱いた
美しい国にいくのをキャンセルし
代わりに降り立ったのは
Shanghai
感じたものは、同じ。
そして
いつか今度はもう一度
つぎは一番大好きなひとと手をつないで
レマン湖のほとりを歩く
モンブラン広場でひたすら何もしないで
そのゆっくりの時間をただ
右から左に流してあげるの
そこは静かで綺麗な場所だから。
上海での早歩きをほんとうのスピードに戻して
歩幅をあわせてのんびり歩くのさ。