外国での暮らし 経験

Earth sky time

06/08/2010

”That’s why I don’t want to come back here.”

 

みんないくつくらいのセカイで生きてるんだろう。
家庭と、シゴト場と、昔のおさななじみと、趣味仲間とか。

わたしには、とてもおおきな宇宙のなかでたったひとつのおおきなセカイがあって、
それでもその中にいくつかぱっくり別れたような部屋もあり、
なぜかといえば、しゃべる言葉が部屋ごとにちがったりするのだ。

 

日本語の入らない場所にぱっと頭が切り替われば、

不思議に別のセカイにいるような気になるのは、
感じてそしてそれが瞬時頭に届いたときに、思うこと自体が日本語ではなくなるからだ。

 

それはそれは、とても面白い感覚。

どのことばにも、響きと色と、そしてエネルギーと、全て異なった感触があって
好きなことばを聞くのは、わたしにとって色々な楽器の音色を聞いているのと
おなじ。

 

 

もっと前は、じぶんがニホンジンで、そしてマイという名前の女性で、
何歳くらいで、とか、そういうものがもうすこしあった気がするのだが、
今は、じぶんはアジア人で、アフリカではないところに住んでいる、

スーとミーとかっぽい
名前の、多分女。
そんな感じなのだ。

 

 

家にかえったら、日本語で、色んな話をして、
総理大臣がだれそれになったとか、そんなことも耳にしたりして、
日本にいようが、火星にいようが、やっぱり世の中の情勢には疎い。

 

わたしがふつうのひとよりよくしっていることは、
どこの中国のスーパーでみりんが安く買えるかとか、
どこの薬局で、ダブの身体洗う石けんが種類が豊富とか、
そういうことくらいだ。

1番の電車にのったら、色んな色の人でごったがえして、
7番の電車にのったら、黄色の人が突然ふえて、
ひとりでいるときのわたしは、まぎれもなく何者でもなくなる。

 

いくつもの、大好きなセカイのなかでもとくべつな、
Vermont の big white house の住人達と新しい名前の
earth sky time farm.
そこに集まる人々は、いまのところアジア人はみたことがなく、
ユダヤ人がとても多い場所で、わたしは何の疑問ももたずに
そこで猫のようにごろごろとただ過ごす。

 

そこは、homeのようで、まったくジブンと関係ない場所のようで、
五月蝿いようで、とてもquietなようで、
いつまでも特別だ。

 

 

しばらく離れていた。
訳もなく、距離を置きたいときもある。
訳もなく、彼らのことばかり考えてしまうときがある。
そういうのも、なんとなく実家っぽい感じがする。

 

nyから4時間ドライブの間、車酔い防止の為に
酔い止めカプセルをごくんと成人一人前摂取し、
4時間ぶっ通しで眠る。

 

 

目を覚ましたときは、実家の門をくぐってさあ着きますよってところだ。
迎えるのは、ユダヤの聖なる夜、金曜日の日没から土曜の日没までの安息日と、
ギターの音色と、星空の下でのキャンプファイヤーと、大勢の人と子供の声。

そして抱きしめお帰りと言ってくれる人たち。

 

わたしは肌寒い5月の終わりの夜を抱きしめて、人の温かさの狭間で
じっと静に涙をながしおもうのだ。

 

”だからここには帰って来たくないんだよ。”

 

いくつものセカイをいったりきたりするのは楽しい。
韓国ドラマのなかで千年以上前に飛んだり、
大好きなお母さんとスカイプで実家のフェレットの話をきいたり、
スターバックスの黒人のおねえちゃんと適当に話したり、
中華街で中国語でぎゃあぎゃあいわれたり、
愛する人と言葉もなく眠ったり、

そうしてバーモントみたいな場所があったり。

 

どこからどこまでが夢かわからないそんなせかいで、
わたしは生き続ける。

 

 

 

 

 

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