”where is mai now?”
半年ぶりに携帯に小文字だらけのテキスト。
留守電のメッセージをきくと、
わたしを訪ねて韓国料理の店を訪ねたらもう2週間前に辞めたよと言われて
nyを彷徨っているらしい。相変わらずのマックスぶりである。
いまチェルシーで働いてるからおいでと住所をメールすると、
案の定向かいの姉妹店にまた「マイは働いているか」と訪ねたらしく、一体どうしたらそんなにそそっかしいんだと思う。
マックスは上海で出会った、まあ平たく言えば元恋人で、
今はもうトモダチとかというよりは離れて住む弟か息子といった感じで
いつ何時どれだけ久しぶりにあっても、
なにひとつ変わらない調子のふたりであった。
ベーグル屋で向かい合って座って見るカフェオレのクリームがついたヒゲ面と、
最初から同じ常に憂いのある表情は、昔は私を不安にさせたけれど今はもうなにも感じない。
来年New Yorkに戻ってこようと思ってるとマックスは言った。
“ボストンは小さい街だから。”と退屈そうなのにどこかうしろめたさを感じているような
いつもの自意識過剰な言い回しに、わたしはどこまでも意地悪になる。
”あんたはまだ若いから刺激が必要なんだよ。”とかね。
マックスはニューヨークが好きである。
コロンビアで修士を終えたあと、何故かハーバードに合格してそのあとボストンに行った。
“学校が終わったらまたNYで学校に行こうとおもっている”と言った。
そういうのが羨ましいのと、同時に自分の人生にあてはめても考えられなくて、
”へえ~。あんたってやつは凄いねえ。”と相変わらず嫌味っぽく返すと
”ボクは阿呆だから、学校にもっと行かないといけないんだよ。”とマックスは笑い、
わたしは納得する。なるほどそういうことか。
阿呆だからこそ博士という号が必要なんだな。
いつでもふらりとこうしてわたしの古い扉をノックしてくるマックスと
30分くらいハナシをして、またねと言って私はまた変わらぬ日常に戻るこの感じは、今日の寒い冬の乾いた空気ととても合っていた。
“New Yorkどう?”と訊かれて、”そりゃ前よりはぜんぜん居心地がいいよね”とココロから
答えたわたしは、ああ今ほんとうに心配事がないんだろうなあと思った。
多くの人と交差する毎日のなかで、この環境がわたしを育ててゆく。
いいこともわるいことも、とても平等に並んで現れて、本当に気持ちのいい日々を
神様は与えてくれていた。
店で、自分の小さな専用キッチンを与えられたわたしは、今日もせっせと料理をして、
ひとの役にたっていることを祈るのみだ。
マックスがNew Yorkに帰って来たら、少しまた寂しくなくなるから嫌だなあ。
そんなふうにおもいながら突然寒さが深まった今日。
1年で最も恐ろしく嫌いなハロウィンという祭りを目の前にして、
よくはたらき、よくひととはなし、こころはほくほく、
わたしはひとり、ニューヨークにいる。