昔のまた昔
写真を撮るのが好きだった
写真を撮るよりもカメラが好きだったのかもしれないけれど
それは料理するよりもただ食べるのが好きってのにちょっと似ている
そのうち辞めて、でも小さくて好きなカメラだけ手元に残して
気がむいたときだけぽこりと切り取る
デジカメに切り替わっていった時代が
わたしが写真をとるのを辞めたときだったように思うけれど
だからあの手にしたときの重みとか、シンプルな機械がカチリと動く感じとか、
そして静にシャッターの降りる音とか、そういうのがこの目に映っている景色と
混じりあうことが好きだったんだろうとおもうから。
それでもやっぱりずっと変わらずに好きで隣にいてくれるcarl zeissのレンズは、
ぎりぎり私の暮らしを支えてくれて、たまにフウケイをそうして四角く
抜き取りおくのだった。
秋くらいに創造性が少し働いて、気が向いて買った小さい一眼レフのデジカメは
ずっと気に入らなくて、ハイテクなコンピューターみたいにして
全然愛着がわかなかったけれど、ぼちぼち触っていたらまあ便利は便利なもので、
最近毎日記録をビデオに残すことを始めた。
年末に日本に帰ったときにチュコで買った小さい家庭用のビデオは、zeissのレンズが
ついてて、そんなにハイテクじゃない感じも、機能が最低限でシンプルなとこも
きにいってるし、見てくれも唯一ひとつだけまともなやつだろうに。
それまたポケットにいれて、歩きながら空とか木とかを撮ったら、
写真を撮るのとはまた違う発見があって、うごくものをひたすら探している自分に
気づいて ああ、赤ん坊ってこんな感じなんだろうなあとおもった。
この目に映っているものは全て幻で、うつりゆく形のないもので、
そしてとても曖昧で信用のならないものだけれど、
レンズを通して見える光の優しさやエネルギーや、そして
小枝に積もった雪がチラチラと太陽に反射して地面に落ちていくのを見ていたら
その幻がどれほど美しいかということはもう明らかすぎて
引っ越してからというもの
突然まわりにいい音楽が溢れかえるようになり
ひとびとはただ、創りだす喜びを素直に感じてる
ただ愛を込めて好きなことにうちこむ感覚なんて
もうずっとずっと忘れていたのをすこしづつ思い出す
ちょっとづつリハビリをしながら必要なところをまたこの手に触れていく
毎日一回3分くらいビデオに日記をつけて
ここにこうして書き留めることの代わりにしている
いいにおいをかいで100くらいグッドアイデアが湧いて
いいおんがくをきいて無とかマイナスが100くらい幸せに向く
そうしてあんまり、nyにはきれいなふうけいっていうやつは
少ないようにおもうのだけど、何かみつけたら
そうしてプクリと切り取っていつか役にたつかもしれないしな。
そんなふうにいきていこう。
今のところは。
なにもしていないじぶんを、こうしてあいすることと、
そして、縫うことに喜びをかんじることとか、
まどからひたすら雲をながめるとか、
昨日より暖かいとか、
そういうことが、大事だったよ。