ここんとこしばらく世捨て人のように
世界からちょっと切り離されたとこにいます。
ある意味新しい環境は
外国にはじめて来てまったく友達もいないところから
スタートしたようなちょっぴりそんな感じ
ニューヨークという場所に関して言えば、
ほとんど慣れて日々の暮らしは
当たり前のように流れていき、
びっくりするような出来事もわくわくするような
出来事もまずないわけで、
淡々と毎日をこなしていくということを繰り返します。
わたしが望んでいたのはきっとそういうことであって、
未だにたまに
「どうしてニューヨークなんですか」と聞かれて困るのは、
もはやここにいることはほんとうに自然なことであるので、
どうしてとかでもないのでありました。
語学学校にはほとんどが留学にきている生徒たちなので、
皆それぞれタイムリミットや目的を持ってすごしています。
いつまでいるんですか?とよく話になるけれど、
毎回”さあ、わかりません。”と答える。
そうするとやはり
”ニューヨーク、楽しいですか”と返されて
二つ返事ででた答えが
”普通です”
であった。
たくさんの場所に移り住んでたくさんのことをしてみた20代の前半は、
なんだかよくわからないが15年分くらいの濃い内容で、
だから今わたしはいっしょうけんめいその時間をとりもどすかのごとく
ただただゆったりとすごすことを心がけている
どんどん日本語がしゃべるのが下手になっても、
どんどんもしかしたら
わたしに興味をもってくれるひとが減っていっても、
どんどん
普通に近づいてゆくことと
どんどん自分のことをたいせつに思えたら
たとえひとりぼっちになっても
それは
とても幸せなことのようにおもうのだ
いまは、やっと、ひとりで平気とおもえるようになったことが、
とてもありがたいことで、
いままでひとりではいられなかった悲しい長い時間も
これからゆっくり取り戻してゆきたいと願うのであった
ぼちぼち、悲しいことも
うれしいことも繰り返し起こり、
わたしはこれからも
この日記をできるかぎり続けていきたいとおもっている
泣いていたり笑っていたりいっしょうけんめい歩いてきた証は
なによりのたからもの。
うれしいこと
わたしは、まだまだ、
歩き続ける。
そして、
きっと、書き続ける。
じぶんのために。
あなたのために。
だれかの、ために。