外国での暮らし

夏の夜・ふたりぼっち

08/06/2011

 

ひとは、確かにもともと1人で、孤独で

誰かに何かを求めても決して幸せになれるわけはなく

外に求めるものなど実際にはなく

全ては内に存在するのであることはもう重々わかっている。

 

それ以上でも、それ以下でもなくて

ようやく最近自分のことや周りにいるひとびとのこと

ひとりで過ごす時間をいとおしむことができるようになったのは

すばらしきかなー進歩なのだ。

 

 

でもきょうという小気味良い夏の真ん中で

もう二度と会えないと思っていたそのひとにもういちど会って

もういちど触れたら

何か大切なことを、思い出した。

 

 

”誰かと共に生きている”という、

そのはるかかなたに置き去りにしてきた甘い感覚が

どんなものだったかわたしはとうに忘れていたのに

それがふとしたときに戻り、

自分の人生に誰かが存在してるという

不思議でやさしい 毛布にくるまれたみたいな安心感が通り過ぎた一瞬、

とても、強くなれた気がした。

 

 

皆生きるのにそれぞれ

それなりに一生けんめいで、大変だよなあっておもう。

 

そういうところの側に、誰かじぶんではない別の人間がいて

チンプな表現だけどもさ、支え合ってゆけたら、

すごく、

すてき。

 

そんな一見あたりまえそうで、意外とあたりまえでもない幸せのカタチを

あたらしく更新して、

これからも、ヒトリボッチと、

フタリボッチを愛おしんでゆく

 

 

日中の太陽の熱が、どこか知らないところに飛んでゆく

ひんやりと忍ぶ暗やみに、

 

誰かと手をつないで歩きたくなる、

そんな夏の夜。

 

 

 

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