外国での暮らし 経験

わたしにとっての非日常

08/25/2011

わたしにとって、非日常は、日常のために 存在しているように みえる。

わたしにとって、土日の休日は

ほっとした安心感とともにやってくる
月曜日のあさのためだけに 存在しているように みえる

 

特別な機会も 特別な境遇も 出来事も なにもかも
なにひとつ じぶんにとっては必要がないような気がしていて
もしも特別で格別な 普段とは違うシチュエーションが
たくさんの感激や着想を与えてくれることがあるのだとしたら

それは まぎれもなく 何の変哲もない 当たり前の 目の前に転がる
小さな小さな普段通りの暮らしのためだけだった

もしかしたらそれは ”いつも”が退屈ではないすてきな証拠でもあり
”いつも”が大好きで 少しでも離れると いつでも”いつも”に戻りたくなる
真面目に考察をかさねた結果、

 

朝起きてまず 窓をあけることや
乾いた食器を 棚に戻すこと
せんたくものの柔軟剤のにおいについてや
読みはじめた本の目次のこと

それらが 全て だった

 

瑞々しい 調和のとれた ただの日常だけが
わたしを生かし
それ以上も それ以下も 実は本当に興味がないんだということが
たとえば普段とは違う場所に出かけたときに
普段と違う人々と交わったときに よく見える

 

わたしにとって、一日出かけなければいけない日があったなら、
その外出は、長い日中の後 家にもどり バジルの鉢に水をあげる
その瞬間のためだけに 存在しているようにみえる

わたしにとって、誰かとすごす時間は、
元来の本質である 孤独をより
際立たせるために 存在しているように みえる

 

ひとから見ると パーティーもなく 祝日もなく
イベントも 祭りも 旅行も ディナーも ダイヤの指輪も
必要としない日々など

とても単調で つまらなく思えるのかもしれないが

 

それほどに
何気ない目の前にある”生活”そのものが
わたしの世界の中心にあることを

それほどに

威張って報告するでもない塵のような存在が
内からピカピカ揺れて踊りつづける

そういうわたしの日常について

わたしじしんは とても

誇りにそして
愛おしくおもっている。

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