外国での暮らし 経験

止まった時間について「誕生日・コウボ」

02/28/2013

 

30才を迎えるその日を、どんなふうに過ごそうかと、考えていた。
みんなきっと、考えることだ。

 

20代最後の今日は、春の雨が降り続ける寒々しい湿気の中
朝7時半からいつも通り学校に行き、

 

身辺整理をして、そして夕方雨がやみそうな頃
誰もいないアパートに戻り、

 

夜ごはんの準備をした。

 

 

 

昼に食べようと思って持って行った

自分で焼いたパンを結局食べずに持って帰ってきて、
グリュイエールのチーズとマヨネーズと
西京焼ののこり乗せてトーストしたその残りを

一緒に食べるようにと
ドライトマトのラビオリを、

ズッキーニ丸ごと一本炒めて
簡単な夜ご飯にすることにした。

 

 

何でもかんでも放り込まれて満タンの冷凍庫から
トレーダージョーズで買ったラビオリと、

小分けにして保存してあるトマトピュレと、
一枚一枚丁寧にラップを挟んで使いやすいように
ジップロックされたベーコンを、
外に出す。

 

 

 

 

 

友人が、翻訳の仕事をまわしてくれて

見習いながらに集中して作業をすると、

久しぶりに仕事をしている感じがしてずっと心地いい興奮が続いたのと
前の日14時間寝たので全然眠たくないのもあって、

 

珍しく日が変わっても
ずっと机の前で作業をしていた昨日のよる。

 

 

 

深夜、自分の30才の誕生日の朝に
コウボと一緒に起きようと思いたち、
寝る前に30時間を逆算して
またコウボを起こすことに取りかかった。

 

 

 

部屋を丁寧に片付けて、

叩きつけるような雨音が延々と止むことの無い
そんな深い時間に、

 

明日着る濡れてもいい洋服や

傘や長靴を準備して

コウボを仕込んで深呼吸をして
浅い眠りにつこうとした。

 

 

 

先に眠る恋人ならぬ夫の顔に鼻先を近づけて
おでこや頬に、キスをして
眠りを邪魔された彼が背中を向けたあと
もはや演技のように
後ろからよそよそしく

彼を抱きしめてみる。

 

 

 

 

「寝てるよ」と静かな言葉で拒まれた私は
いつもの位置に戻り、見えない天井を眺め

目を閉じて
夢に入るギリギリ眠ったか眠らないかを朝まで彷徨った。

 

 

 

ギリギリの向こう側の夢の中で起こっていた

この身体左半分からの途切れぬ出血は、

アイフォンのアラームが6時15分を報せるその瞬間まで
むごたらしく流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が、こんなにも、悲しくて寂しい毎日を

ひたすら誤摩化しながら,

お得意の偽”平和で幸せです”ゴッコが始まったのは

いつからだったろうかと、不思議に思った。

 

 

 

例えば夏に、同じように寂しかった気持ちを思い出せるのに、
秋に、愛に満ちたりていた感情はもはやこの身体に戻ってこなかった。

 

 

 

そうしてそういえば、一年前の29才の誕生日は

一体どんな風に過ごしていたのだろうと
記憶が完全に途切れているのを修復すべく、

 

この点々と不定期にアップデートされるだけになった日記を読み返してみる。

 

 

 

 

 

そしてはっきりと見えたその瞬間について、わたしは
いままでそれを完全に意図的に忘れていたことを思い出す。

 

わたしが彼との関係が刻々と流れていたその時間軸から
足を踏み外して、

そしてその衝撃によって電池が外れた時計。

 

そのまま時が止まったままになっていた、
10月のできごとを。

 

 

 

彼との間に

ショックなことがあったその時に、わたしは自分を責めた。

そしてバランスを崩し

信頼できるカウンセラーのところに駆け込んで、
精神衛生を速やかに取り戻した時

わたしは必然的に彼を責めることを選んでいた。

 

 

 

 

自分の感じていることをひた隠しにするために
全て彼のせいにしようと無意識に企んでいたことを知って

なんともいえないきもちになった。

 

 

 

 

日々、学んでいることは、自分が思っている以上に何層にも深く重なっていて
そしてその表面をなぞるだけで何でも判っているような気になる。

 

その一段階内側のレベルに辿り着いたとき、

もがいていた時間が
いかにフェイクで薄っぺらかったかを知るのだ。

 

 

 

 

 

 

 

あと1時間と10分ほどで、今日がおわり
30才になる。

 

 

思わぬタイミングで気付きは降りて
新たな局面にてわたしはまた

最も大切なことのひとつを
学ぶのだ。

そしてまた、その学びが、いつか次の層に潜ったときに
今が何層にもわたる一番外側であったかということを、

さらに学ぶ。

 

そして繰り返し。

 

 

 

あと死ぬまでになんどこんな体験をし続けるんだろう。

 

 

 

 

 

とりあえず

30才を迎えるその日を、どんなふうに過ごそうかと
考えていたわたしにとって

前ぶれなく降ってきたギフトは
たいせつな、気づきだった。

 

 

 

 

いつもどおり、大好きな友達との勉強会に出かけて
産まれたての赤ん坊を見に行く。

一緒に生誕を祝って、
ゆうがた家に戻り

 

ミッドタウンあたりにでも

バースデーディナーにでも

出かけるのだ。

 

 

 

 

You Might Also Like