妊娠をし、出産に向けて刻々と日々を重ねてゆくさまは、
じぶんが思い描いていたものや想像していたものとは全然ちがった。
いいことも、ふかいなことも、
どうでもいい小さな発見が数えきれぬ位
つぎつぎ現れてくる。
ぎもんに思うたびにすぐさまグーグルできるこのご時世は、
ひとつ不安に思ってもすぐに答えをくれる何とも便利なものだが、
むかしのひとはどうしていたのかとか、
きちんと身体に耳を澄ませることを忘れずに過ごしていると
いかに必要以上の情報が氾濫しているかと怪訝におもうときもある
ニュージーランドで出産した友達と話したとき、
出産する場所について「自宅」というオプションが当たり前に存在していると言っていて、
彼女も二人目は自宅で産んだのだが、
しらべてみると、日本で自宅出産を選ぶひとは1000人にひとりとかの割合らしい。
逆に意味がわからなかった。
自分の選択肢の中に自然に存在している価値観や、そういった
出産のスタイルひとつとっても、「世間ではこうしているから」という理由だけで
だれひとり疑問も持たずに「病院で産む」ことを当たり前のようにおしつけられると、
それが親切心からだとわかっていても、
人類の歴史のなかで、どれほど長い期間ひとびとは
家とか普通の場所で出産してきたのか一瞬でも考えないのだろうか?とおもってしまう。
もちろんリスクとか安全性とかの面だけでいえば答えは一目瞭然だが、
少なくとも健康で順調に経過していて、自分の身体や赤子の状態を信じられるようなときであれば、
そのとても尊い経験を、自分の「ここちよい」と感じる場所で体験したいと思うのは、
それこそ自然なことだと個人的には思うけれど。
リスクを承知で無茶をするなんて行き過ぎたことはせず、
科学の発達の恩恵もうけつつも、自分たちが持っている本来の生命力のようなものを
信じながら生きていくことを、妊娠出産に限らず
ぜったいに忘れたくはないな、と
常々おもう。
とりあえず、妊娠すると乳首が黒ずむとか、腰痛とか便秘とか、
体毛が濃くなるとか、(これは元々濃いため全然わからんが)、
ひととおり聞いた事ありそうなことは実際体験しながら
腹のなかでテケテケ動く感覚も、なにもかも
実際妊娠してみて起こる発見の連続だが、
2、3にち前にわきの下に小さいおできみたいなのを発見し、
最初はニキビみたいなもんかと思っていると
じつはそれが乳(サブ)であることをグーグルは教えて
かるい衝撃をうけた!
もともと犬や猫に乳がたくさんあるようなものの名残らしいが、
こういう些細な身体の神秘について 妊娠しなかったら
人間にも乳が二つ以上あることがある
という事実を死ぬまで知らなかったのだろうなあ とか
妊娠したらセックスや性欲はどうなるんだろうと
つねづね疑問に思っていたが、そういうのも本を開けば懇切丁寧に記されており
いまさらだけれども
よのなかには知らないことに満ちている・・・・
と思うのであった。
ー
わたしは姉妹なので、
「男の子」を知らない。
そういう意味でも、ずっと前から男の子が欲しいなあと興味しんしんに思ってきたので
自分の半分を受けついだ小さな異性がこれから現れるのかとおもうと、
確かに胸はときめくのであった。
きっと色々あるには違いないが、
すてきなマミーになれる気がする。
出産に向けて今日感じたことは、
じぶんがリセットされていく感覚だ。
いままで積み上げたやまほどのことから、
もっとも大切なことや真理だけを残し
よぶんなものを削ぎ落としていく。
自分のありかたや、他人との関係性、
ほんとうの意味で「愛すること」や「許すこと」など
根本に戻って、真っ白な紙に
ひとつづつ望むことを書き出してゆく作業は
これから産まれてくる命のためでもあり、
結果として
じぶんが一回りして大きく
これからどんな人生を歩みたいかを一から見つめ直す
とても貴重な機会のように思う。
まだまだ沈む日もあるけれど
あっという間にすぎてゆくいまこの時期を
よりよいものに出来るように
ひきつづきつとめてゆきます
世の中すべての生きものに
ばんざい!