あっ
もう二月だよー!
日に日に腹が飛び出してきて、こわいっっ。
まいにちいろいろある。
とても幸せでほくほくして目が覚めるような夢の日もあるし、
グロテスクで残酷きわまりない夢から覚めて呆然とする朝もある。
よるは、大体、とてもいいことを考えて、
すきなことをたくさんイメージして、
気持ちが愛で満たされたようになってから眠りにつく。
でもある夜に、わけもなく、
とつぜん寂しくなって、悲しくなって、
そういう時にだれかにメールを送って気を紛らわせたりすることもできなくて、
おなかを抱えて、シクシク涙を流した。
「わたしが欲しかったのは、温もりなんだよ。」
てきとうに腹に話しかけ。
辛いときに、ずるずる沼にのみ込まれていかないように、
いちいち自分を上げるようにずっとこころがけていたが、
ひさしぶりに「さびしいもんは、さびしいんだ!」と
わきあがる感情に身を任せてみると、
それはそれは魔法のように、
平安をもたらした。
おやになるなら、辛いのはみせちゃだめだとか、
強くあらねばならない、とか、そんなふうに
頑に装おったり、
じぶんの身を守るためにこうげきてきになっても
vibesなんてのはこの腹に伝わってしまうものだ。
そのかわりに、素直に表現して、ひとはしなやかに、
いきてゆけるのだと
悲しいときに、「マミー悲しい!」と、
涙をながせるくらいで、
ちょうどいいんじゃないかと思えた。
ひとの脆さが、同時に美しくもさせることを
愛を信じられるひとは、しっている
とBrene Brown がいったみたいに、
じぶんには愛される価値があるということを、
うけいれて、ゆく。
1分くらい涙をながしたら、
とても穏やかなきもちがすぐに戻って、
そうしたら南の島に旅行中の親友ジェニーから
「シナモンの葉っぱが、
ほんとにシナモンの匂いがするんだよおお!」
とさわやかなきもちにさわやかな南風がふくような
メッセージがとどいていた。
わたしは、捨てられないけども、
持っているべきではないし、
返すこともできない一通の手紙を、
けっきょく、
ひきだしの奥からひっぱりだして、
燃やすことに、した。
こういう儀式は、とても、たいせつ。
火事にならないようにきをつけて、
こんろに弱火で火をつけて、
封筒が半分くらい燃えたくらいに
こんろの火を消した。
そこからじっと
ゆらゆら ゆらゆら
ゆれながら 炎は大きくなることもなく
ちいさくなることもなく
紙を
じょじょに
灰へと変えていくすがたをながめながら
かなしみも、怒りも、うらみつらみも、さびしさも、
なにもかも自分が内に抱いてきた
ネガティブなものも
ゆっくりと
もえて きえて 昇華してゆきますように
と
こころのなかで となえる。
のこるのは、
コンロの上にちいさな山になった灰と、
コンロを汚しておかあさんに朝おこられるかも・・・という
やらかした感と、
愛と、
やさしさ。
あるひとが、
「信用できなくても、
拒絶しても、あなたは愛されている」
と書いていた。
ほんとうに、そうだ、と、おもいながら、
信用できなくても、拒絶しても、
まったく静かに目をつむっていても、
わたしは愛を、送り続けることに、した。
また、べつの、ともだちが、
Elizabeth Mitchell の
You are my flower を教えてくれた。
ほんとうに、趣味のよい、
こどものための、音楽。
キッズソングは、とにか品のないものも多いなか、
彼女の心地よいギターを聞いているだけで、
こころはやさしく、
まるくなってゆくようだった。
ださださの振りつけつきの耳心地がわるい子ども向けの歌を
これから必死で覚えたり歌ったりするのか~
と
おもっていたけれど、
好きな音楽を聞き続ければいいのだ。
それでいいのだ。
こどものいるひとびとにぜひともおすすめしたい
ありがとう、
ありがとう。
いろんなことをおそわりながら、
もういちど調和をとりもどしてゆく。
そうか、
シナモンの葉っぱは、
ほんとうにシナモンの匂いがするんだな。
いつか、実際にかいでみたい。
英語を学ぶ喜びを全身で感じることを
さいど思い出した次の日のよる、
冷めやらぬ興奮。
なにもかも、
うごめいてゆく。
きょうも、
また。