いのち 経験

(出産記録コピペ済)場所

03/08/2014

台湾人は、やっぱり、底抜けに親切だった。

台湾という場所は、とても不思議だ。
町はまだまだ汚く、道はバイクで溢れかえっていて、騒音も排気ガスも尋常じゃなく、
忙しそうで、とても人々に余裕があるようには見えない。

どうしてこんな喧噪のなかで、誰かの声に耳を傾けるこころのゆとりが出来るのだろうと
不思議に思えるほど、驚くほど、ひとは、優しい。

道をきけば、「知りません、お役に立てずごめんなさい」とさっさと行ってしまうのが当たり前の感覚はなく、
この国では、わたしが目的地にたどり着くまで助けてくれようとする。地図を開くか、人に一緒に訊ねてくれるか、
ましてやその行きたい場所まで人々は一緒に案内してくれる。
言葉が上手に通じなくても、忍耐強く笑顔で理解しようとしてくれて、たった一杯のお茶を買っただけで
ていねいに頭をさげて、感謝を示してくれる彼らの温かさに、何度も救われる。

中国や、韓国や、日本や、同じ顔をしているアジアでも、
数々の過酷な歴史をくぐり抜けてきたこんな小さな小さな島国の、そんな国民性が
いったいどこから培われているんだろうと不思議におもうほど、
あたたかい、国。

 

猫とか、野生の動物は、死ぬ間際になるとどこかへ姿を隠していくと言われるけれど
自分が生涯を終えるその瞬間を
どの場所で迎えるのか
それを探して、そして見つけて、ひっそりと息を引き取ることが、
とても自然のあるべき姿なのだろうと
つくづく思う

 

それは実に本能的なもので
命を産み落とすときも
同じことが言えるのだと
今自分が実際に体験しながら気づく

安全で、安心できて、自分が自分と産まれて来る命と調和していられる場所
何にも邪魔されずに、ただ、自然に身をまかせて、そんな神秘をなしとげられる場所
そういうものを、直感的に、本能的に、
探している。

 


愛知県の岡崎にある、吉村医院という病院。
自然出産で有名な先生の徹底されたポリシーの元になりたっている
出来る限り医学の介入を抑えて、医者に身を任せるやりかたでなく
あくまでも母親と子どもに能動的な態度でお産に向かわせる
そんな場所

 

出産は、とても限られた数しか今は受けつけていないということで
残念ながら今回はそこで産むことはできないのだけれど
ご縁があって、検診だけしてもらえることになって、
そこで感じる、その「場所」という、包み込むような優しいエネルギー。

 

この先2人目を産むときには、ぜひその場所で体験することができたらいいなあと
つくづく思えた今朝。

 

これか、これか、これっぽいかな?と
こころの中で計りにかけている何かというのは、
迷いのない100%の「これ」に出会う時、一瞬で霞むものだ。
「これ」は、迷う余地など、一ミリも与えない。

 

そういう自分が絶対的に身を委ねられるなにかに
こうして度々出会えることは、
本当に幸運なことのように、おもう。

 

vipassanaの瞑想センターは、どの国でも、どの場所でも、
足を一歩踏み入れた途端に、同じエネルギーが流れているのがわかった。

 

吉村医院に辿りついて、門をくぐったとき、
わたしが感じたのは、それと同じだった。

 

のこり二ヶ月と少し。
自分の身体を通して、いのちが誕生するその日まで、
こころと身体をてっていして調和させていく作業に、

いそしみます。

 

 

台湾だいすき

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