よく、出産は最大のデトックスだとか聞いていたけれども、
わたしが体験したのはデトックスというよりかは「破壊」という感じだった。
みんな口を揃えて「ほんとに身体ぼろぼろになるよね」と言うけれど、
少し落ち着いた今思い返すと、ぼろぼろもそうだけれども
一旦自分の精神と身体が完全に解体されて、散り散りになって、
もとのかたちが跡形もなくなったような場所から、
時間をかけて再生される、
そんな感じだ。
翌日から結構ふつうに動けたという人も中にはいるけど、
わたしの場合は結構な難産だったこともあって
精神的にも身体的にもダメージは大きかったと思う
今振り返っても、想像を絶する過酷さだった
最初の数週間は本当にあまり記憶がないくらいに
3メートル歩くことがままならない
よく乗り切ったよね
そして
こういったことを、世の中の母は全員
むかしから行ってきたんだなあと思うだけで
ただただ尊敬の念がわいて、謙虚なきもちになる。
「ほんとさー、命がけだよね!」と、私のちょうど一年前に
双子を産んだ友人は言った。
おいかけるようにして、命がけのその体験を
遠い国でなんとか成し遂げ帰還したわたしとその赤子に、
なっちゃんは涙をうかべていた。
これ以上うれしい最高の「おめでとう」はない。
子供を「育てる」に関しては
まだまだ初心者で、何の経験もないわたし。
しかし妊娠、出産を通して、命と向き合うことは、
そうそう、「生」と向き合うことは、
まさに死と隣り合わせの体験だ、と
改めてかみしめる。
まさに、いのちがけ。
そんな風に産まれてきたすべての命が、
愛おしくないわけがない。
うまくいかずに、辛くて、心細くて、
疲れがピークの時に「もう無理だ」と
たびたび大泣きすることがあって
ひとりだし、愚痴を言えるひともいないし、
煮詰まってどうしようもないとき
最初の数週間はとにもかくにも壮絶な死闘だったし
三ヶ月目に来た波のなかで
意味もわからず苦しくなって
泣き止まないゼロ歳児を抱きかかえながら
「もうマミー無理だもん!おっぱいでないし、
できないもん!」と
新米母も、一緒に泣きじゃくる
そんなふうにに自分のすべてをなげうってでも、
夜眠ったあと
日中ずっと顔を見てべったりなはずの存在から
解放されるどころか
恋しくなって
写真とか見たりして
やはり、すごい存在感、子、というのは。
産まれたとき、
それは宇宙のような存在だった
いいとか、わるいとか、かわいいとか、愛しているとかを超えて、
とにかく未知でおどろおどろしい闇、真っ暗で果てしなく続く恐怖
でも夜になると星がきらめくことを知っている
そんな宇宙
小さい身体から無限に広がっているのを見た
その宇宙は、次第に、
陽がのぼり、そして暮れてゆき
雨が降り、地が固まって、
生きとし生けるものが
その自然の恵みを受けるような
そんな地上へ降りてくる
世界へとつながって
そしてわたしに
生きる力を与えてくれる
許す勇気を与えてくれる
愛する喜びを与えてくれる
そういう存在へ変わってゆく
三ヶ月たち、やっと徐々に身体が慣れてきて、
もとの体力が戻り始めて、
「再生」を感じる
ひとつづつ、時間がかかるけれども、
母としてのわたしと
もともとのわたし
上手に手をつなぎながら
命と向き合う
日々。