たとえば、わたしたちは、いつから、笑えるようになったのだろうか。
すべての母親にとってそうであるように、わたしもまた、
いままで自分のなかにあった「あたりまえ」が
根底からくずされてゆく毎日を送っている。
たとえば、わたしは、にんげんというものは、嬉しければ自然と笑みがこぼれるし、
眠くなれば勝手に眠ると、そう、
思い込んでいた。
でも、実際は、産まれたばかりのそのいきものは、
一ヶ月や二ヶ月の間は、「ほほえむ」ことなど、
知らなかった。
そして、「眠る」という作業は、実はとても難しいスキルがいることなのだと、
彼らを見て
わたしは知った。
疲れても、眠くなっても、そのことと、「眠る」ことはまったく別で、
夢のせかいへと旅立つには、
ときに、とても高度な訓練をつまなければいけないのだ。
できるだけ既成概念にとらわれずに生きていけたらと、曇りのない目で
世界を眺めようと努めてきた自分が、
いかに「思い込み」の世界に住んでいたかを知らしめられる
「当たり前」など存在しないのだ、と。
「あ」と言おうと思い、「あ」と声を出す。
それは、じつは、決して、簡単なことではないのだ。
彼はいま、「あ」と喉を振るわせることと、じっと口を閉じた状態から
ぱっとその小さな唇を開く
そのタイミングを合わせる、練習をしている。
ときどき、口をぱっと開けたときに、「ば」と音を出すことができたり、
ときどき、口をぱっと開けたときに、空振りして空気だけが漏れる。
人間の進化がわたしに教えてくれること。
それは、わたしという人間の視野を、きっと
ひとまわりもふたまわりも広げてくれて、
塀に囲まれた一階の小さな窓から覗く景色と
20階の展望台から見下ろす眺望くらいの、
違い。
あしたは、なにが、
できるようになるのだろう。