1歳9ヶ月の息子が、最近「あー」と歌を歌い始めた。
踊ったり、歌ったりすること
それは、教わって覚えるものではなかった。
いつか、音楽に合わせて体を揺らしはじめた
小さな小さなクリーチャーを見て、
わたしは
「踊る」が人間の遺伝子に
始めから組み込まれていたことを知る。
2014年11月の日記より
たとえば、わたしたちは、
いつから、笑えるようになったのだろうか。
すべての母親にとってそうであるように、
わたしもまた、
いままで自分のなかにあった「あたりまえ」が
根底からくずされてゆく毎日を送っている。
わたしは、
にんげんというものは
嬉しければ自然と笑みがこぼれるし、
眠くなれば勝手に眠ると、そう、
信じていた。
でも実際は
産まれたばかりのそのいきものは、
一ヶ月や二ヶ月の間は
「ほほえむ」ことなど、
全く知らなかったのだ。
そして、「眠る」という作業は
実はとても難しいスキルがいることなのだと、
彼らを見て
わたしは初めて知った。
疲れても、眠くなっても、
そのことと「眠る」ことはまったく別で、
夢のせかいへと旅立つには、
ときに、
とても高度な訓練をつまなければいけないのだ。
できるだけ既成概念にとらわれずに生きていけたらと、
曇りのない目で
世界を眺めようと努めてきた自分が、
いかに「思い込み」の世界に住んでいたかを
つきつけられる
「当たり前」など存在しないのだ、と。
「あ」と言おうと思い、
「あ」と声を出す。
それは、じつは、
決して、簡単なことではない。
彼はいま、「あ」と喉を振るわせることと、
じっと口を閉じた状態から
ぱっとその小さな唇を開く
そのタイミングを合わせる、
練習をしている。
ときどき、口をぱっと開けたときに、
「ば」と音を出すことができたり、
ときどき、口をぱっと開けたときに、
空振りして空気だけが漏れる。
人間の進化が
わたしに教えてくれること。
それは、わたしという人間の視野を、
ひとまわりもふたまわりも広げてくれる。
塀に囲まれた一階の小さな窓から覗く景色と
20階の展望台から見下ろす眺望くらいの違いを
今日も楽しむ。
あしたは
なにがあたらしく
できるようになるのだろう。
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