この部屋に、越してきたのは
息子がまだ、1歳に満たないころだった。
それまで実家で肩身の狭いおもいをしながら、なにをやっていいのかわからずに
途方に暮れた時期。
外国に逃げて、一からまっさらな人生を始めたかった。
彼を産んだ土地までの飛行機のチケットを握りしめて
なんども飛ぼうとするのに、なぜか、どうしても動けなかった。
三回飛行機のチケットをキャンセルして
何万円も手数料を払って払い戻しをしたあとに、
セラピストとして生きていくことに決めた日が来て
同時に部屋を探した。
たくさん見て回って、どの部屋からも緑が眺められて、目の前が公園で、
そして静かだったこの部屋に、すぐ決めた。
それから丸2年。
引越し先を、今年にはいってからずっと探していたけれど
なかなか思う場所が見つからなくて
決まらなかった。
なんとなく区切りのいいこの時期に
どうしても新しい環境に変わりたくて
でもなかなか物件も見つからないので、運を天に任せることにした。
3月に入り、長い苦しかった時期を抜け
ようやく、失ったことを受け入れることに決めたわたしは
本当にやっと、本当の意味で手放すことを決めて
前に進むことに決めた。
部屋は相変わらず見つからなかったが、
どうしても、この部屋を
たくさんのことを経験したけれど、もう自分にとって必要のないこの部屋を
どうしても出たくて、
そんな時に限って、下の住人に腹がたつような出来事があったりして
まだ行き先も何一つ、決まっていないのに
やみくもに、
いらない家具を、処分した。
引越しの目当ての物件どころか
仕事を辞めたわたしは、そんなお金もなければ、引っ越す理由もなければ、
この先の行き先も
なにひとつ決まっていないまま
バスルームに置いてあったチェストは消えてなくなり
その中に入っていた
タオルや石鹸や、バスソルトは
無造作に床に置かれて
なんだか自暴自棄に、ほっとした。
1月からずっと部屋を探していたけれど、
毎日不動産情報のメールをもらっていたけれど、
ピンとくる物件は一個もなくて
まあ、ベストな未来が用意されるだろうと祈りながら
真っ暗闇の中で、静かに光について想う時間は続いた。
そしてチェストが消えた翌日、引き続きずっとこもりっきりで
過去の清算にあたっていると
夕方マックの画面に、ふいにgmailの通知が流れた。
不動産屋さんからで、
実家のマンションの一室が売りに出るという話であった。
すぐに母に連絡をして、3日後に見学にいくことになった。
見学が決まったことをまだ伝えていなかった母から、
翌日珍しく電話があって、ご近所の噂により
「すでに見学するひとが、金曜日にくるらしい!」
と慌てた様子であった。
そしてその見学者は、わたしのことであった。
今日は、ひとつ仕事に区切りがついて、
長い間ずっと取り組んでいたプロジェクトもまた、
最後の締めを迎えられた嬉しい日であった。
ささやかに祝福をし、
感慨深い気持ちで喜んだ。
そのあと昼ごはんを食べ損ねたわたしは、おなかを空かせたまま部屋の見学に行き、
見学が終わり実家で不動産屋と母と
右に、左に、ゆらゆら立ち話をする。
話している間にカウンターに置いてあった伊予柑を剥いて食べた。
2割くらいはパサパサしていたが、甘くて美味しかった。
空腹時に生の果物を腹に入れられて、わたしは満足した。
母は、不動産屋が帰るときに、「こんな子ですいません。」と謝っていた。
来客があるときに、お茶も出さずに、喋りながらひとりだけ伊予柑を食べることは、
とても失礼なことなのだ。
そのまま自分の家に戻り保育園に迎えにいって、また実家に行って、
また自分の家に戻った。
夜、日帰りスキーに言っていた父から電話があった。
見学について、「どうだった?」と訊いている。
この場合、何と答えたらいいのかよくわからず、
「うん。何と答えたらいいか。」とわたしはそのまま言った。
「もし気に入ったなら、そのまま契約することにするからね」
と父は言った。
何かを決めて、
そして必要なスペースを作ると
もっといいものはこうして、入ってくる。
まだ見えぬ未来に向かって、風呂場のチェストを売り払うことは
それはときにとても怖いけれど
でもこうして、
たくさんのものを失って
それを手放したら数日後には、
あたらしい住む場所が、決まるものだ。
2年の最後の締めくくりを、
こころゆくまで行おう。
想いのつまった、ここにある全てに。
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