どこへいくにもおくりむかえをしてもらう生活。
おひめさま的で、実に惨めで、ふべんで、なさけなく、
不自由で、じかんがゆっくりながれる。
せいげんがかかるときの、そのなにかを見つめ直さないといけないときに、
やっぱりじぶんには何もできないようなきがした。
もともと、まもなくそのくるまをもらうかもしれないところだったけれど、
わたしはなにもかも、なにもかもをなくしてしまって、
新しいよいくるまをもらって、げんきに運転する資格なんて
どこにもないとそう思ったのだった。
そんなときに、めんきょもくるまもどうじになくなって、
もうこれからなにをどうしたらいいのか、本当によくわからなくなるまま
日々はすぎていって、
いえにおくってもらう車のなかで、
たおくんが、
「まま、ままのくるまないから、これからずーーっとおばあちゃんのくるまでいいよね!」
「ままのくるま、ないから、ずーっと、おばあちゃんのくるまでもいいね」
とくりかえしたのを聞いて、
なんだかとてつもなく、あったかい気がして、ないた。
ままのくるまがなくて、これからずーっと、結局どこにもいけずに、
あるいて、送り迎えをしてもらって、そのまま死んでも、
たおくんが、ただ大きな声で、げんきに話をしてくるだけで
むねがはちきれるくらいにしあわせなきがした。
ことばをおぼえて、わたしにことばを投げかけるところから、
意志がはいり、きもちがはいり、わたしたちは
しょうしんしょうめいのふたりになってゆく。
あのひ、たったふたりきりですごした病室のなかで、
ちいさなちいさな手をにぎりしめて、
これからずっといっしょにすごすことを誓った日のことを思い出していた。
ちいさくて、わたしをははにしたはずのそのいのちは、
いまはもうとてもおおきくて、
わたしのことを心配したり、ないているわたしに、
「もうおなかいたくない?」
「もうなかないの?」
ときいてくる。
おなかのうえに、ぽいっとあかちゃんがおちてきた。
わたしがないているときとか、
おなかがいたいときに、ときどき貸してくれるみたいだった。
それがあればきっと、ままはあんしんだからとそう思うのか、
じぶんのいちばんのあんしんを、わたしにかしてくれるのか
それはわからないけど
あかちゃんがきて、
そのあとに
「まま、あかちゃんすきだろ?」
っていわれたとき
わたしがうんで、やどったたましいが、たおくんでよかったと
なんどもなんどもそうおもうのだった。
ここに、ぜんぶある。
あかちゃんも、たおくんも。
わたしがいて、
ほかになにが、いるだろう。
なんだかいつかぶりに、
そのかんかくをおもいだす。
くるまどころかいえどころか、
ぜんぶなくしても
たおくんとじぶんがいたら、
きっと世界のどこでもいきていける。
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