だからいつでもそんな気分になるのは、仕方がないことだっていうのを、
いい加減知らなければいけない。
イタリア人の彼と、クイーンズボロのアパートの窓から見たあの煌々とした明け方の月を、忘れることができないまま、
私は、またタイムトラベルに出たまま永遠に道に迷うのだ。
空の上で、いったりきたりする時間を早送りしたり巻き戻りしたりしながら
到着したのは自分の生まれ育った国だった。
でも、わたしは、ほっとするどころか、自分は消えてなくなってしまったんだと
確信するようなきもち。
毎日慌ただしく暮らしを営んでいた風景はどこにも見当たらなくて、
昨日まで一緒にすごして話をしていた人はいなくなって、
見慣れぬ景色と人々と言葉が、わたしを静かに吸い込んでいった。
結局、いつもの如く、物理的に身体がこうして移動しても、
魂だけが、どこかでさまよったままなのだ。
だから、わたしはいつでも旅行がきらいで、とりわけ時差がでた時点でアウトとなる。
jet lagという単純明快な理論を通りこし、多くの感覚を調整するのに
時間がかかるのだ。
だから、一週間やそこらで、無理矢理新しいものに
興奮したりすることは、ただひたすら苦にしかならず、
年々それは強くなってゆくような気がする。
わたしは、マンハッタンの、がたがたうるさく汚いサブウェイではなく、
ピカピカで静かなJRと書かれた電車にのりながら、奇妙な感覚だけを抱えて
妹の住む、世田谷のアパートにむかっていた。
マンハッタンの、暗くてけたたましい騒音に包まれた地下鉄の独特のにおいを
探していたけれど、それはどこにも見当たらなくて、適当で距離の近い
見知らぬ人々のことを思い出しながら、ああ、
わたしはついに、この世から姿を消したんだろうと悲しくなってきた。
みんなの温度がこの身体から消えてしまうことも、みんなの記憶から
わたしという存在が消えてしまうことも、何もかもぽっかりと穴が
あいたようで、わたしは4次元に来たんだなと思うのだ。
それはとてもとても面白い感覚で、
あたらしい感覚は、いつまでもアップデートをしつづけて
引き出しは増え続けていく。
きっと、この身体が死んだときに、こういう感覚を覚えるんだろうなあと
国をまたぐたびにそう思っていた。
ぽっかりとおちたその穴のなかで、
わたしは、色々な人の顔をおもいうかべながら、イタリアの伊達男の言った
”すべては幻覚なんだよ”というフレーズをリピートした。
わたしが出会った人々も、覚えている記憶も何もかも、ああきっと
夢だったんだろうと思わせるような曖昧なブレを起こさせる不思議な魔力を、
時間軸というのは持っている。
そして、私がしていたと思うことも、悩んでいたと思うことも、
人々と交わした言葉も、嬉しかった出来事も、毎朝聞いていた音楽も、
ああ、幻だったんだと分かって、
そして今に戻る。
今というのは、今この時しか存在していなくて、
わたしは、数時間まえまでのことをすべて忘れてしまって、
そして今この瞬間のことすら、数時間後には忘れているんだろう。
愛について話をした。
チョコレートについても。
そしてこのわたしの歩く人生そのものが、
きらきら光に満ちたillusionで、だからもう、わたしは
何をどこでどうするとか、色々執着することに意味はないと知るのだ。
ただただ、
愛するものに囲まれて、疑問に思う事はしなくてよく、
わたしは望むとおり消えて融けてなくなり、
愛そのものになって、光そのものになって、
ゆらゆらと漂いつづける、幻覚の人生を、ただ、楽しむ。
親切で、丁寧で、ピカピカで静けさに満ちて整理整頓された
この自分の国を、今はぽてぽてと歩いて、
でも音楽は、わたしだけの世界を創り上げるから、いつもBill Evans のをぶらさげて、
そしてもうじき追いかけて日本へやってくる親友のジェニーを待っている。
そのときは、この遠い地にて、これまた遠い地の風を感じながら
うまく調和して、わたしだけの幻の世界にまた
足をおろすことが出来るのかも。
ジャパンはすごい。
店員さん、やさしい。
電車、ぴかぴか。
そして静か。
だれも歌ってない。….鼻歌ですら、ふんふんいってたら
みなが振り向く。
面白い。
2010年12月29日NYより帰国時の記憶