あるクリスマスのこと。
アメリカから、「石」が送られてきた。
「石」を贈るという感覚をもつ大人が、
一体どれくらいいるのだろうかとまず想った。
保育園で、公園にいった息子が拾ったどんぐりを
先生が袋に入れて、「これたおくんが拾ったどんぐりです」と言って渡してくれたことがあった。
そのときは気にもとめなかったが、
アメリカからはるばる海を渡ってきたメノウは
そのどんぐりを健気に拾う息子の姿を私に思い出させ、
そのまま、北米の乾いた心地よくて爽やかな夏の太陽の下
娘たちと一緒に湖に反射するキラキラした水辺を
文字通り這いつくばっているAの姿が浮かんだ。
膨大な石ころの中から
きれいなメノウを、探して
拾う
それほど、ニネなアクティビティがあるだろうか。
それほど、丁寧に今にある行為が、あるだろうか?
その様子を思い浮かべただけで
わたしはことばにならない感覚で胸がいっぱいになって
それは寂しくて、心細くて、冷たくて
たまらなかった私の夜を
やさしく、寧々に、
まるごと包んだ。
目先の業務に気をとられすぎて
しごとの先っぽにばかり目がいっていた私は
好きな人の温もりを追いかけすぎて
その無くなった感覚を麻痺させるように
仕事に逃げていて
本来自分が伝えたいはずの本質であるとか
ニネのコンセプトに自分がどんな想いを込めていたかを
もういちど思い出したような気がした。
○
もうひとつの包みを開けると
そこにはとても丁寧に作り込まれたような
小さなちいさな木の箱と
きれいなブルーと、薄いピンクの
ハート型の石が入っていた。
それは
”オシャレなものが全くない”という彼女の言葉とは裏腹に
こんなに”オシャレ”なプレゼントが他に、
この世に、
存在するのだろうか?
と思うほど可愛かった。
私のハートをめいっぱいに震わせて
わたしはそれを両手にぎゅうっと胸に抱いて
もう逢えぬ、恋人と自分の代わりに
ブルーのハートとピンクのハートが
小さく箱に収まるところを
大切に
大切に
見届けて
そのままその小さな箱をベッドに持ち込んで
握りしめるようにして
寂しい夜を明かした。
○
1日経った朝に
割れた瓶を
プチプチのなかから丁寧にお皿にあけて
光の下にかざすと
それは彼女のメッセージカードに書いてあったとおり、
本当に綺麗だった。
まずは怪我をしないように振り分けなければとおもって
気をつけた瞬間に、
プチプチのなかに入っていた破片で
指を切った。
じわっと指の腹から血がにじんで、その、行為ひとつひとつが
お皿に開けることも
そのあと石だけとり分けることも
水で洗い流して破片ととりのぞくことも
どれもが、すべて、
優しい光のなかで
わたしを「今」に戻していくみたいだった。
こういうプレゼントを贈れる人間でありたいなと思う。
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