NZという国は、全体的な波動が高いとおもう。
それは自然がまだ多く残っているとかもあるけど、新しい土地であることや、
多分だけどもともとの移民からの歴史なんかも含めてクリーンだ。
それはひとと交わる中でも感じるし、よって住みやすいのは事実だとおもうし、いわゆる次元が高めのひとびとで構成されている以上、愛や平和や穏やかな感覚のなかで生きてる人間が多いから、
結果的に平和な場所になる。
わたしがその場所を、子供を産んで育てようと当初思った理由は
色々あれども、安全だから。というような意味合いではなく
単に波動が高いから。ということはあったとおもう。
数日遅れで、母親伝いと、鍼灸院のテレビからクライストチャーチでテロがあったことを知った。
クライストチャーチというのは、首都のオークランドよりもさらに波動が高い場所だと思う。
オークランドは、いわゆる都会だけど、ニューヨークに長く住んだ身としては
実に田舎くさい、中途半端な都会で、観光地と化した街中は、あまり風通しが良いとは言えない。
なんにせよダサい。ダサいと言うか田舎臭い。
すくなくとも港に面していることや、それでもうんと気持ちのいい場所であることにはまちがいないにせよ、それはクライストチャーチには敵わない。
チャーチには、地震があったり、何度か破壊と再生が営まれているせいなのか、全体的な雰囲気やこざっぱりした愛の高さがある。
決して大きな都会とは呼べないけれども、必要なものはあり、わたしはその場所を、最も愛する息子が初めて目にする景色に選んだ。
ニュースで、ニュージーランドと言う国は世界でも有数の安全な国とされていて、留学生も多く、残念でしたね
みたいな腑抜けたことを言っているのを聞いて、
なんていうか、なんてひとは、自分中心でしか物事を見られないのだろう、とつくづく思った。
そりゃあまあ、日本からの留学生の立場から身の安全を守るために
それは大切な視点なのかもしれないけれども
ほうぼうを渡りあるいた後に、最後じぶんが流れつこうとしたその場所には、もちろん人間が住んでいて、どれだけ安全な場所であろうと、どれだけ豊かな自然があろうと、わたしたち人が住んでいる限りエゴでできている。
それはとても、自然なことであり、大小なりとも争いがあり、それを経験しながら洗練されていく全人類にとって
喜ばしくない事件や、善良なひとがただ犠牲になることや、おおきな自然の災害でたくさんのものが失われることもある。
個人的に、そこで過ごした日々がある限り、わたしにも大切な人々がそこには住んでおり、息子を産んだときにお世話になった助産師のジョーは、自分の街でテロを経験して
どんな気持ちがしただろう?
そう思った朝だった。
世界には、いろんな場所があり
真っ暗な闇のような汚れた危険な場所もあれば
誰も傷つかない光に満ちた、優しく守られた場所もある。
そのどこかでただ、わたしたちは生きている。
どこを選び、そしてどんな風にものごとと向き合っていくか。
それだけだよ。
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