わたしにとって台所は聖地だった。
欧米の、乾いた気候の中で木やスパイスやハーブの匂いがする独特のその小さな空間は、決して同じ食材を置いてもアジアの気候の中では同じ匂いがしない。
それはひどく懐かしい香りで、ただ自分がそこに居るべきなのだということをいつも教えてくれた。
肉や魚の匂いがしない、葉や土や、香る草花の乾いた場所は、ベジタリアンのキッチンには共通したエネルギーがあって、これまで訪れたどんな世界中のほかの場所よりも、わたしはその匂いが好きだった。
ふわっと、ニネターブルの匂いをブレンドした。
それは、食べられるものでできており、食べられないものの匂いがする。
食べられるものの匂いを、匂いで表現するのはとても、野暮ったいというか、所帯じみていてまったく垢抜けていなくてわたしは好きでは無い。
ときどき、フルーツとかお菓子の匂いとかが、食べ物ではないものから臭うと、吐き気がする。
その代わりに、食べられるものではない匂いが、食べられるものから匂うその様は、洗練そのもので、とても粋なことだと思う。
ハーブや乾いた果物の皮、スパイスの混じりあった匂いは、「何」の匂いか判別できない。
表現するとしたら、北米の片田舎のおばあちゃんちの庭に面したパントリー(食料庫)の匂い、というくらい。
それは、田舎臭いが垢抜けており、そこに動物がいなければいないほど、クリーンになる。
わたしはそれを、ニネターブルの匂いにする。
それは聖地の匂い。
わたしは香りをつくることで、料理をしているのだとおもう。
ごはんを食べることは、身体に負担がかかるけど、香りはそれなくして、五感を刺激してくれる。
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