愛するということを、
きょうえぐられるようなきもちで思い出した1日で嗚咽して泣いた。
それはときにたまらなく惨めだが、一定のラインを超えた場所にある愛というものは、男や女や肉体を超える。
その生々しさを、愛することの底辺と頂上を、もし言葉で説明できるちからがわたしにあるのだとしたら。
それは、自分がやらなければいけないしごとのひとつなのだと
そう感じた。
誰でも書けるとは思う。
ただ、世界を見ている様子というのは、みな違い、
ある部分が見える人間と見えない人間というのは確かにいると思うし、それがより広くより深く見えるように訓練してきたのが、この数年だった。
そして、それが見えるだけではなく、実際に言葉に起こしていける、目に見えないものを言葉に変換する、描写したり表現したりするというちからのこと。
それもまた、見えるものをそのまま言葉にすることは
きっと誰にでもできると思っていたけれど、多分そういうわけでもない。
結果だけれど、自分がそれをできるようになったなら、やればいい。
シンプルにもう一度生きたいとつくづく感じるようになったここ数日。
泣いたり不安になったりするところは別に前と何ら変わりはないけれど、すこしふっきれたというか、恥をかく準備がまた整っているようなそんな気がする。
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