集合的なじぶんが寄せ集めるものとか、
集合的にじぶんが惹かれるものとか、
そういうのをみつめていったときに、いろいろ見えてくるものがあって、
最近、集合的に自分がつねに怒りをかんじてきたところが
たくさんあぶりだされたときに、それはとても共通していることに気づいた。
それは、わたしのもとに誰かがきて、それで勝手に怒って、勝手に去っていくというパターンみたいだった。
わたしが怒らせるから悪いのかなとか、いろいろ自分を省みたけど、
最終的には、なんていうか自分のところに、無意識に救われたい人間が集まっては、
それが自分が救えたり救えなかったりすることで、わたしは苦しんだりするのだと。
それも、前回Sちゃんの前でじっと睨むように目を見据えてわたしは
「それは、助けられるひと、そうじゃないひと、どちらも両方現れるわけだね?
たとえわたしが助けられなかったとしても。」
と訊ねたわけだけども、
そこで助からなかったひとは、わたしを恨むというそういうシナリオだ。
そして最近パターンがすこしあるなと気づいたこと、それは、助かりたいひとは、
一見わたしのことを助けるふりをして目の前に現れるということ。
助かりたいと書くと大げさだけれど、深い部分ではそうなる。
わたしは助けてほしい。すると、ヒーロー願望や優越感や、正義を刺激する。
そして、それを満たしたいひとが現れるみたい。
助けてくれるひとがきてくれたときに、本当にその立場のひともいる。
そういうときはただ、しずかに愛と叡智をわたしはさずかり、感謝して、それが穏やかにつづく。
Sちゃんとか、Sとか、たおくんもそうだ。
Sちゃんは、常に、わたしがもっとずっと弱く未熟だったときから
助けてくれるひと、そうではないひとのことを
的確に言い当てていた。
わたしにはそれが、まゆつばのように当時、きこえた。
わたしは、誰かを救えるようなたいそうな人間ではないし、ひとに迷惑をたくさんかけるし、なにか特別な力をもっているわけではない。
ただ、このひとといれば、なにかが起こるのでは無いか?と感じたひとが、ちかくにきて、
そして、怒って、去っていく。
わたしは、その度に、癒しとは。愛とは。自分にはなにができただろうと
真剣にかんがえてきたけど、それに苦しみ、大事な人たちばかりだったから、
すごくすごく、こたえのでなかった結果に、怒りを抱え続けてきたのだと。
わたしのしごとは、ただ怒りを放つことだけだとおもった。
たすかるか、助からないかは、わたしの問題ではない。
救えなかったのは、わたしのせいではないから。
やれることを全力でやる。
癒しを求められたら、癒す。
以上。
だれかが目の前に現れたときに、
それを癒すことができたら、それが同時に自分のカルマ昇華になる。
わたしは、救いたかったし、救いたいし、これからも救う。
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