Organicというのは、そこに命が吹き込まれているかどうか、という意味だとおもう。
くいもののはなしではなくて、ぜんぶ。
それで、「まいちゃんはオーガニックだよね」とリコちゃんに言われたときに、そのときは?と思って、一度も自分の世界観に「オーガニック」という意識を持ったことがなかったから、おどろいたものだった。
高木正勝さんとか、(しかおもいつかなかったけど)ザ・オーガニック、というひともいるから。
それはくいもののはなしではなくて、にんげんとか。
それで考えていた。
昨日のよる、自分のつまづきについてガチガチに固まったところを泣きながら感じていったときに、ふいに現れたのは、そう、オーガニック、みたいな生々しいやわらかさだった。
わたしはそれを恐れているのか、それで、わたしのなかで「オーガニック」のイメージはとても、こう、自然主義的な感じで性には合わないのだけど、わたしは文章に、それを吹き込みたいのだとわかった。
それは、命が感じられるかどうか、という感じだとおもう。
生きているときの、汚さとか、脆さとか、不安定さとか、そういうものも全部ひっくるめてこわがらずに言葉にのせていけたとしたら、多分そこには「いのち」みたいなものが乗る。
そのことを、リコちゃんはオーガニックと言ったんだ、きっと。
フルさんの洋服がすごく好きなんだけど、フルさんの世界はすごくオーガニックだが、ものすごく精密でクオリティが高くて、一見非オーガニックにみえる。創り込まれた美しさみたいなもの。
わたしのおもう、オーガニックは、雑い感じ。
手作り作家さんのぼてっとした焼き物のマグカップみたいな。
そうじゃなくて、とてつもなく細かい作業の入った精巧なスイスの時計みたいな、すべてが人の手で作られている、そういうオーガニックのこと。
まだうまく言えないけど、まだうまく、自分の文章のことをつかみきれずにとても苦しいけど、そういうこと。
多少暴れたり、わざと無骨さを残したりすること。
いまは、書くのがはずかしい。すごくいやだ。
かといって、書かない選択をしたら、わたしは命ごと消えるから。
じぶんの中から生まれてくる一語一語が、どうか有機でありますよう。
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