ひとりごと

受け入れてもらえないことを受け入れること

07/31/2022

2年前に自閉症の診断がついたときのことを、思い出していた。

あの、いのちを落とすかと思った恐怖の夜が続いたこと

息が止まって、明日には死んでいると感じたこと

あれから2年が経つ。

正確にいうと、2年前、わたしたちは、幸せだった。まだ全ての苦しみの旅が始まる前で、わたしは自動車学校に通っていて、仕事を時々合間にして、花を育てて、お金の心配もしなくてよくて、恋人はいて、これから新しく仕事を進めていくサイトの準備をしていた。

その前の秋

わたしたちは家族で旅行にいった。ちかちゃんの結婚式の代わりの、旅行

なにもかもが優しくて、美しくて、感謝に満ちていて、美奈子さんがいて、完璧な時間だった。

 

あの頃にもし戻れるのだとしたら、戻れるのだとしたら、今は本当に、戻ってもいいかもしれないと思うほど、この2年はつらい時間だった。

けれど、あの頃「何も知らなかったがゆえ」に苦しんできた38年間が、なんとか楽になればとずっとその旅は続いていて、

だから、その苦しみの原因を知ることは、どれほどそれが、過酷でも

かならずいつかは訪れたんじゃないかとそう思うんだ。

 

遅かれ早かれ、わたしの息の根は止まったと思う。未来のない恋愛や

なぜかうまくいかない仕事

人間関係

たおくんの、成長とともに明るみになった

コミュニケーションの障害

 

この世界に、同じ場所に留まり続けることは存在しないのだということだけが、わかる。

 

 

 

自閉症と診断されたわたしは、この先、ようやく真実を受け入れてそして、楽になれるんだとそう感じた。やっと、うまくいかなかった原因が、わかったんだ。やっと、何度も死にかけてきた人生の理由が、わかったんだと。

きょとんとしながらその検査結果の紙を握りしめて、ぼんやりとラピオのフードコートを歩きながら、お母さんに発達障害だったことを告げた。

あの時はまだ、お母さんもお父さんも、周囲の全員が、この先こんなに辛く大変な時間になっていくとは想像だにしていなかったと思う。

 

ゆっくりと、噛み締めるみたいにして、ひとり、またひとりと一緒に仕事をしていた人にそのことを告げて、でも、そんなことはあまり意味をなさなかった。

なにかの理解につながってゆく代わりに、わたしは全員を失った。

 

ずっと、助けてと言い続けて、そして一度もきてくれなかったりゅうじにも

「発達障害だった。自閉症だよ」ということを告げて、そのあと一度だけ秋に会いにきた。

わたしが動けることを確認して、そして「大丈夫だな」と言って、二度と顔を見せなかった。

 

わたしの発達障害は、身体が小気味良く動くからこそ、それ以外で本当に困っている部分に目を向けてもらえない。みんな、体が動けば元気だとそう誤解するのだ。

それは、この40年誤解され続けて苦しみ続けてきて、そして今なお続く。

 

もう、2年が経過し、怒涛の苦しい日々をいろんなひとと共有したあと

わたしには、誰も目を向けてくれなくなった。

今でも変わらずに、自閉症で、発達障害で、助けが必要なことに何も変わりは無いのに。

 

最初のころに「今までよくそれで生きてこれたよ」と本当に理解を示してくれた人も、もういなくなった。

今も、よくそれで生きてこれたよという状況は何も変わらずにいても、誰も気づいてはくれない。

 

声をあげることも、そして誤解され続けることも、もう疲れ果てて、わたしは一人きりになった。

 

 

りゅうじが、ゆきちゃんに「最初聞いたとき、とくに驚かなかった。昔からパニックになってるところはあったし」と話したこと

「マイの目、すげー綺麗だもんな。」と話したこと

 

わたしには一度も、褒めることもなかったけど

誰かが、そうやってわたしのことを見ていたこと

 

 

あのあと去年の半年間は

本当に辛いものだったけれど、わたしにとっては、りゅうじがそばにいてくれた、最初で最後の幸せな時間だった。

今日写真を全部消して、去年の夏の、優しくて光に向かってた時間の記憶を削除した。

それは、ほんとうに悲しくて辛いことだったけど、

楽しかったなあと思えるまでには、まだきっと何年もかかる。

 

 

 

そしてもうひとつ、ずっと会ってもいなかったし、連絡もときどき変なメールをするだけだった潤君が

なにかの拍子に連絡してきたときにも、そのことを告げた。

「まい、自閉症だったんだ」

なんかそんなふうな言い方をしたと思う。

いろんな詳細を話したわけじゃなくて、でも多分伝える必要があった。

 

 

その時、それで何かが変わると思ったわけじゃない。

それまでだって、特に関わりは無かったし、この先も関わる予定も無かったから。

 

その時の潤君の反応は、「まい、大丈夫だよ」

みたいな感じだったと思う。

 

わたしにとって、その頃も、その後も

全然大丈夫じゃないのに 何度か「大丈夫」だと言われることはいつも、パニックの要因になった。

何も知らないくせに、軽々しく大丈夫とか言うなよ。

何も、知ろうともしないくせに。

 

いつも潤君にはそう思って、あのとき彼が何を感じ、何を思って、そして

わたしが発達障害だったことをどう、彼なりに受け止めたのか、なにもわからない。

 

それから2年が経って、わたしは短い時間だけ潤君と話せた。

山ほどの辛い時間で全ての人の言葉や態度に過敏になり、誰のことも信じることができなくなっていた、この初夏のことだ。

 

りゅうじを失い、ちかちゃんを失い、あきちゃんを失い、誰もいなくなって

そして、潤君と話し、潤君もまた居なくなった。

 

明日病院にいって、この2年の発達障害への理解を示してくれる病院を探すのをすべて諦めて、

わたしは精神病の患者として、どこも悪く無いのに、ただ理解しそばにいてくれるひとがいてくれさえすれば、わたしは普通の人として

生活できるのに

薬を飲んで、人としてじゃない生活を、送ることになる。

 

仕事もやめて、信頼できるひとは誰もいなくて、支えてくれるひとも誰もいない中で、

ただ薬を飲んで、死んだように生きることしか選択肢を与えられない国

 

本当は、仕事もできて、才能もちゃんとあって、健康で、人の役にたつことが、できるのに。

 

 

鬱は治ることを

鬱じゃなくて、統合失調症かもしれない。前に適応障害と診断されたことはあるけど、

環境を良くしたくたって、この理解の追いついてない遅れた社会に助けを求めてももらえない環境で、

どうやって病気を治せるというんだろう。

 

鬱が治ることは 希望に感じたけれど、わたしは こんな孤独の中で、ひとりなんとか歩いていこうとしている反面

その薬を飲み続けて、自分が自分でなくなってしまい、そしてそれは再発するもので、この先もずっと薬を飲み続けないといけないのかと思ったら、

怖くて、もうこんな私には、誰も一緒にはこの先いてもらえないのだとそう思った。

 

発達障害とわかったから

もう、ひとりにならなくて済むんだと思った2年前

 

現実は、発達障害とわかっていながら、見捨てられるだけの毎日だった。

わたしはそれでも、自分のこの身体を選んで、生まれてきたんだろうか。

 

こんなにも苦しむために、これからも死んだように生きてなくちゃいけないんだろうか。

 

鬱や統合失調症のことを知ったら、潤はどう思うだろう。

とても抱えきれる相手じゃないと、ただ見捨てるんだろうか。

 

 

誰にも受け入れてもらえないことを、

わたしは受け入れてかなくちゃいけない。

 

2年経ち、わたしは本意じゃなかった二次障害の治療を始めることは、

前向きでいいスタートなんだと思いたい。

 

 

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