たおくんが帰ってきて
明日から病院に行くけど、それが怖いんだということを話した。
最近は、ほんとうにつらいことや不安なことを
タオ君に話すことができるようになって、そしてそのことをタオ君は
理解できるようにまでなっていて
毎日毎日その存在に救われてる。
ただでさえ、発達障害という疎ましがられるものを持って生きながら
愛するひとたちに次々見捨てられてきた次に
二次障害を治療するという選択
しかも、その二次障害は、発達障害への理解や助けがないことが原因なのに
薬を飲んで、なにかいい方向に行くことがあるんだろうかと
ただ苦しい時間や、身体に負担をかける時間が増えて、それが一生続いてしまうんじゃないかと不安になる。
あまりに辛くて
たおくんに
「たおくんは、大好きな子が2人いて、ふたりとも大好きだったとして、ひとりは健康で発達障害じゃなくて、ひとりは発達障害と頭や心の病気を持ってたとしたら、どっちをえらぶ?」
とそう訊いた。
誰だって、いいものを選びたい。傷がついてたり不備があるものじゃなくて
いいものを。
自分の価値がどんどん失われてく感じがして、怖かった。
最後「この人は愛があるから」と言われた潤君すらも、居なくなった。
わたしにはもう、誰もそばにはいてくれないんだと思うだけで足がすくむ。
数日、夕方からは調子がよくて、昨日も「なんかもうひとりでいいやあ〜」ってすごく気楽に、1人でこの先も楽しく生きていくきもちが湧いていたのが嘘みたいに
落ちると、誰もいてくれない、わたしは愛されないの輪にはまってく。
たまらなく苦しくて、その幻想から抜けられない。
大きな声で訴えたわたしに、たおくんは私のほうをしっかりと見てこう言った。
「ママ、ぼくは、もし2人がいて、ひとりは健康で発達障害じゃなくて、ひとりは発達障害で病気だったとしたら、りょうほう愛があれば健康なほうを選ぶよ。
でも、発達障害か病気かどうかじゃなくて、ひとりは愛があって、ひとりは愛じゃなかったら、ぼくは愛のあるほうを選ぶよ。」
それを聞いて、内側からいろんなものが溢れたのがわかった。
「ママは、ママは愛だから、それなら選んでもらえるよね」
と素直な肯定と理解を感じられた。
わたしを選んでくれるひとはいる。
そして最後に私の目を見てはっきりとこう言った。
「ママ、ぼくはいなくならないから、大丈夫。」
いままでどれだけの人が、そう言ってそして、居なくなったろう。
でもたおくんだけは、この8年本当に、いなくならずにそばにいてくれた。
潤君も、「まい、ぼくはいなくならないから、大丈夫」とそう言って、いつも居なくなった。
今回も。
それはまだ、辛いきもちが出るけれど
たおくんは、本当にそばにいてくれると感じる。
そしてそれは心底わたしの支えになり、唯一の光となり、
生まれた瞬間から今までずっと、救い続けてくれた。
たおくんに、依存せずに、ただ感謝して大切にしていきたい。
そしてこれまで
居なくならないと言って居なくなったすべてのひとたちと過去を、手放していきたい。
たおくんがいてくれて、本当によかった。
わたしはまだ、生きてる。
鬱の薬を飲んでも、もし統合失調症の薬を飲み続けないといけないとしても
きっとわたしは、わたしのままでいられる。
そして、ようやく、
愛されることや、誰かがそばにいてくれるかどうかは
発達障害は関係ないのかもしれないと
うっすら感じられることができた。
たおくんのことばに、すべてが詰まってる。