弱くて繊細でいつも悲しく痛く寂しい自分。いつ頃からだろう。多分思い返すと19歳の時からだ。小西がわたしに投げた爆弾は、苦しみの始まりだった。でも必要な。
そんな苦しむ自分のことは、受け入れたり愛することは一度もできなかった。
今日はじめて、「扉を開く」「どんな自分も愛して、解放する」に準じて
それをトライしてみた。
古いブログを読むと出てくる、ずっと倒れて泣いて苦しんでいる自分。ひとりで誰にも助けてもらえない自分。痛みばかりの惨めな自分。
そこからとにかく抜け出したい一心で、前ばかり見てた。
健康で、ヨガをやって何にもぶれないそんな強い安定した自分だけを目指していた。
ある日のこと、なんか、そういう安定した完璧な自分になりたい気もするし、それは自分じゃない気もすると感じた。どうしようかな、また調べようかなと。
そんな矢先の出来事だった。
辛く苦しんで毎日悲しんで怖く辛い自分をイメージしてゆくと、
薄い貝殻のような、軟骨のような、魚の骨の幅広い部分みたいな、そんな感じの小さなピースが一枚見つかった。プラスチックでできた、白い桜の花びらのような形をしていた。
硬くて、痛くて、本当に好きじゃなかった。
まぎれこんだ卵の殻や、スープにとりきれなかった魚の軟骨みたいに。
それは、邪魔で余分で、痛かった。
でもそれは紛れも無い、わたし自身の一部だったんだ。
まずは、そっとそれを抱くために、ゼリーの上に乗せて包んだら、大事にしようと思ったら、その自分は、まもなく光の粒になって粉々になってゆくみたいだった。
ずっと、そんな辛く痛い自分は、愛してほしかったんだってようやくわかった気がした。
そこに居座りたいわけではなくて、ただ、受け入れてほしかったんだって。
そうしたら、泡みたいに消えてった。
愛を流して、光を流した。
わたしの自分の辛くて嫌な部分だったけど、そんな自分も愛してあげること。
どうして今まで気づかなかったんだろうと思うくらいに。
いつものドアをあけて小さなマイに会いに行くと、ポコポコ殴られた。泣きながら怒っていた。ずっとずっと、見て欲しかったのにといわんばかりに、ポコポコ怒っていた。
そうか。そうか、ごめん。そう思った。
わたしは結局、より高みを目指すことしか見えてなくて、惨めな自分のことはずっと否定してきたんだなと気づけた瞬間だった。
その後で、円形の天井の建物の中に、いくつも窓があって、それを次々開いたりして、重たい鍵のかかった扉も開いてみたり、やっぱり閉じてみたりを繰り返していたんだけど、その惨めで辛く悲しい自分のことを、愛そうと思ってやってみたら、なんと、円形の天井がまるごとスライドするみたいにして、パカっと全て開いて、空が見えた。
小さな窓を開けたりして繰り返してたのに、大きな天井は消えてなくなり、まさに扉が大きく開いた瞬間だった。
これを、続けていく。
まだいるかもしれない。気づいていない自分。
それでも今日、そんな惨めで痛々しい、かなしい自分に気づけて愛すること、解放すること、受け入れることを決めたのは、大きな前進となった。
久々にグッドドクターを見て、気づけた気がする。
ヒントはそこらじゅうに散らばっている。
メッセージはたくさんやってくる。
なおちゃんが来てくれて、なおちゃんは天使の遣いな気がした。
ありがとうしかない。
人が生死を彷徨ったり、そして難病や、二度と戻ることのない健康に直面したとき
わたしたちには二通りの道があり、絶対に諦めずに治療法を探すこと、そして、病気であることをもう受け入れて、障害とともにいきていくというあり方だ。
そのどちらもが大事で、わたしもいつも、その両方を探し続けている。
絶対に心地よい生き方が自分なりに見つけられると信じて進み続けることと、そして今日のように、痛みを抱え続ける自分、どうしようもない自分を、愛すること。
なんか、素敵な日になった。
ありがとう。