わたしが死ぬと決めて、残り一週間だけたおくんと2人で過ごす時間。
最後の時間に、彼にわたしが託したり、預けることや、教えることができることがあるとしたら、なんだろう。
「ママは、死ぬ前に、やりたいことあった?」
そう訊いてくれたタオ君。
たくさん涙を流しながら、何度もハグをしてくれた。
わたしが死ぬのは、絶望しているからではなく、何かが途絶えてしまったからでもなく、心からの愛を伝えたいことと、これまでよくこの逆境の中で生きることを最後まで諦めずに頑張ってきた自分への、最後の優しさなんだ。
安楽死という言葉が、これほど自分を安心させることはないと感じるほどに、これ以上もう苦しまなくていいのだと、ホッとする。
自分の手で命を絶ったら地獄に行くとか、最後まで諦めずに生きることを選択することが、正しいとされることもある。
わたしもつい最近までは一生懸命、ドクターフランクルの本を読んで、そう、この人生は幸せのためにあるわけではなくて、苦しみに耐えていることこそが、高貴な行いなのだと実感して、ずっとがんばって生きてきた。
それでも、自分の命を支えるために、人の助けが必要だったことに最後まで気づいてもらえなかった今、タオくん1人にそれを背負わせるのは酷すぎるとそう思うから。
りゅうじもよく頑張ってくれたし、何も悔いはない。
ただ、やっと死ねると、やっと全てから解放されると思うだけで、心から安心する。
痛くて辛い死に方は、1人では怖かったから、タオくんに助けてもらうことをお願いして、その高瀬舟の役目を担うタオくんにとっては、辛い経験であることは間違いない。
そして、きっと世間からはひどい母親だとタオ君が死ぬ最後の日まで、辛い経験をしたねと言われるに違いない。
でもタオくんはきっと、やっと気づき始めてる。
ママの命を救うために、日々の普通のことをただ協力してやることが、どれほど大切だったのかということを。
言われたことを右に流すのではなく、自分の頭で考えて動くことが、言われるまで待つのではなく、言われる前に気づくことが
どれほどわたしの生活や命を支えてもらうのに、大事なのかを。