古い記録コピー
アメリカにもマクドナルドという店はそこらじゅうにあって、だいたいが同じは同じなんだけど、唯一ひとつだけ、日本とは違うところがある。
それはファミリー向けの清潔感溢れる集いの場ではなく、そこはいわゆる汚れていて、教養のない、階級の低い人間が来る場所のようだった。
ときどきわたしのような日本人が、日本が懐かしくなって紛れ込む以外、見ているとテレビで見るような薄汚いホームレスみたいな老人とか、わたしが4人くらい入れそうなくらいな巨漢のおばさんとか、ヤンキーで不良の若者とかで店はごった返しており、とりあえず平均的な庶民のアメリカ人はあまり見当たらなかった。
店のロケーションにもよるのだろうだけど、大抵は衛生面でもほんとに汚いことが多くて、日本の爽やかなマクドナルドのイメージはほとんどなく、まさに「あんな場所でジャンクフードを食べたらひととして終わりである」みたいな雰囲気が漂っていた。
NYには何人か親しい友人がいたが、アッパーイーストサイドの当時(2010年頃)家賃25万くらいするおしゃれなアパートに住んでた親友のジェニーに「マクドナルドに行ってくる」と言ったら止められるだろうから、そこに出入りすることを私は黙っていた。
自分が働いていた世界も、ヴィーガンやベジタリアン、オーガニックの食通たちが通うのは、ホールフーズかせいぜいTrader Joe’sといったところで、マクドナルドやKFCは別世界だった。
わたしはアメリカに住む前に上海に1年近く住んでおり、その前にフランスに住んでいた。
世界のどこにいてもどこでもドアのように共通する場所がある。
イケアと、デパートと、マクドナルドだ。
心細くなったとき、港の近くにあるブルーとイエローの扉をくぐれば、そこは世界のどこでもイケアであり、マクドナルドにいけば、そこは世界のどこでもマクドナルドだった。
空港とか百貨店もまた世界共通の雰囲気があって、わたしは寂しくなるとよく街のど真ん中にあるデパートに立ち寄った。荘厳な扉をくぐると、シャネルとかディオールの化粧品の匂いが漂うダダっ広いフロア。日本で、わざわざ買い物をしに都会にでて百貨店に行くことなんてほとんどないのに、わたしは外国にいる時よく百貨店をうろついた。
それで、例のマクドナルドは世界中にあるわけで、長いアメリカ生活でニューヨーク訛りの英語をぶらさげてわたしが出産をするために上陸したニュージーランドにも、同じく黄色と赤のMという文字の店はあって、わたしはその場所を、世界のどこでもない故郷へつながるどこでもドアということにしたのだった。