何度も、NYの夢を見る。悲しくて孤独なものから、日本人に囲まれる夢や、現実的に生活をする夢。
10年前の自分に戻りたいわけでは全然ないけれど、この国で死ぬよりは幾分かマシだと思う。
英語圏では、普通の人として生活ができる自分。日本に戻った途端に、天才か障害者かに成り上がり、成り下がり、助けがもらえない自分。10年病気になり続けながら格闘して、もう、十分だ、と思った。
引越しのあては結局どこにもなくて、生活を共にすることがどれほど必要で、何かの世話がなくとも、同居してもらうだけで十分で、でもそのことに
気づいてもらえる人がいない。
マンハッタンの喧騒と、バーモントの静けさのことをいつも思い、すこしでいいから療養にいきたいとそう思う。
すぐ死んでしまうと言うからと周囲の人が怯えている。
わたしは単純な助けさえあれば、毎日元気で生きてゆける。死にたいわけでもなければ、こんな逆風の中で必死で生命を繋いできた。
それでも、シンプルにそれを支えれば死なないよね、と当たり前に知って居てくれる人は今はいない。
助けてくれるひとの前で、死んでしまうとパニックを起こすことは一度もない。
助けてもらえるから、死ぬ必要なく安全だ。
英語圏は、生活するのに処理する情報が少なくて済む。
生活に必要な助けは、近所の人や他人でも誰でも助けてくれる。
日本は、違う。
もう疲れたし、いろんなことを言われて
怒りをぶつけられ続けるのにも、疲れた。
本当は、愛するひとたちのそばで、日本で暮らせるように
ずっと、ずっとがんばってきたけど
もう手放そうとようやく思った。
命には変えられないから、海外に行ってとタオ君に言われたときは、
別に海外に行くアテもないし行きたいわけじゃないと
本当にそう思ったけど
今も、別に行きたいわけじゃないけど
誰にも何も言われずに、ただふつうに生活をしたい。
それだけ望んでる。
フランスや、中国や NYでわたしが生活ができるのは、文字が読めるからだ。
部屋を探したりする情報を、自分で見つけることができたからだった。
日本でこんなにも、ディスレクシアの壁があったことや
気づいてもらうことがとても難しいこと
助けを出すことができないことに
気づいてもらえないこと
なにもかもに
疲れたけど
夜眠る前に、潤が言葉が出なくなった時期の辛さをようやく理解できたとそう感じた。
あのとき気づいてあげられなくてごめんと
伝えられた。
たくさんんの辛く苦しい経験は、気づきを与えてくれる。
ありがとう。
NYにはたくさんの移民がいて、みんなが外国人で、隣同士のひとたちが必死で協力して生きている。
日本はなんだか、わたしは助ける側ですみたいな
自然に支え合うっていうのを
あまり見たいことがない。
ほんと、ふつうなのにな。
ただ文字が読めないとか ただ時間の感覚がないとか
それだけで。
疲れた。今日もなんとか1日を無事に終わらせられますように。