今から思えばわたしはあの頃ほんとうに、大切にされていて
クリスマスやホリデイのたびに、実家のニュージャージーにつれていってもらうこととか 家族に会わせてもらえることとか 一緒に住んでもらえることが、当たり前じゃなかったことに、潤との関わりを通して本当に感謝できるようになった。
会えることも、約束できることも
それが苦手だからと伝えて、同じ部屋に住まわせてもらえたことも
NYで誰もがみんな、部屋に入れてくれて、同じ空間をわたしに共有させてくれたこと
あまりに自然で、大切にされてて、愛されてて、
それが日本で一度も起こらなかったことに、驚いてる。
でも今はプロテクションの練習をしてて、助けてもらえないことも、切り離されたり見捨てられたり、助けてもらえないことも、本当に困っていても一切気づいてもらえずに取り合ってもらえないことも
あまりに深く傷ついてきたけど、今はなんかやっとどうでもいいやと思えるようになってきたんだ。
知らないのは日本人で、わたしじゃない。
しらないのはこの世界で、わたしじゃない。
わたしは、助け合うことの大切さも、困っているひとに手を差し伸べることの尊さも、家族のように接する安心感も、ちゃんと知っていて、そういう経験をしっかりとさせてもらってきたから。
この先なにが起ころうとも、わたしはわたしを大切にする。
それ以上も以下もなくて、プロテクションをしていい。
それは相手と切り離されることじゃなくて、大切な自分を大切にするということだから。
あんちゃんや、あんちゃんの家族はわたしはしんどくて、いつもニュージャージの家にいるのは苦痛だったけれど
でも、たくさんのプレゼントをもらって、愛されて、人並みに大事にされて、それはありがたいありたたいことだった。
家族なんて面倒で、そのときはありがたみなんて一度もわからなかった。
今は潤に突き放され続けて何年も経って、最後の場所に立っていて、絶望を感じてる。
それでもわたしは、最後まで自分を大切にするレッスンの上にいて、幸せだと感じる。