ひとりごと 経験

共感覚

12/07/2009

変化とか、移り変わりのなかでしか
自分があることを確かめられないのは確かに
もんだいであるのかもしれないが。

 

季節外れのクリスマスソングを聞きすぎていたせいで
光に彩られた街並から初夏の風が吹く

あまり、むずかしいことはわからなかったが、ともかく感じるには、
あまり、わからないもののままとしてそっとしておくことが、
よりロマンティックだったりすることは
間違いないのだ。

 

感じることは、そのままで美しかったり
そのままで気持よかったりするものなので、
26年間つきあってきたそれに今更名前をつけられたり
分類すること自体がナンセンスなようなきもする。

 

海から空を臨んでいた人魚が、意外と陸に上がってみたら
息ができたりすることもきっとある。

 

できるようになりたいことはたくさんあったのだ。
でも、できないことがおおすぎてそればかりに気をとられ
できることもできなくなっていた。

変化とか、移り変わりが全てではないにしろ、
時にそれが必要であることは確かだ。

 

わたしの手は、二本ある。
二本しかないので、抱えられるものは、ほんの少し。

当たり前だ。

 

わたしには、何もなくていい。
愛するひとたちがいるこの場所で、
わたしは在る。

 

 

 

 

2017-2-21追記

”共感覚”という言葉を初めて知ったとき。
赤ん坊の頃、五感の境目がない状態(味覚を色で感じたり、音を触覚で感じたりすること)
が大人になっても続いている人のこと。100人〜2000人にひとりの割合と書いてあるが、わたしは自分が持っていたその感覚が2009年まで全員同じなのだと思っていた。

 

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