たとえば、わたしたちは、いつから、笑えるようになったのだろうか。 すべての母親にとってそうであるように、わたしもまた、 いままで自分のなかにあった「あたりまえ」が 根底からくずされてゆく毎日を送っている。 たとえば、わたしは、にんげんというものは、嬉しければ自然と笑みがこぼれるし、 眠くなれば勝手に眠ると、そう、 思い込んでいた。 でも、実際は、産まれたばかりのそのいきものは、 一ヶ […]…
Getteが、死んだ。 命は、有限なのだ。 深夜にバーモントから届いたメッセージに、しばらく身動きがとれなくなる。 Getteは、母だった。 わたしが、アメリカに渡るきっかけとなり、アメリカを最後立ち去るときまで ずっと”理由”であり続けてくれた、Levis一家の、 そう、花冠だった。 11月の末に、レヴィス家次男のマックスから、”ジェットが病気なんだ。怖 […]…
3ヶ月ぶりに、ひとりで向かえる朝。 主人は実家に戻り、わたしは祝日にひとりnyへ残り、 たっぷり寝坊した、遅い朝 ひとりって、こんな感じだったっけか、と、寂しさと自由の混じり合った 長年の間よく知っているその身体に馴染んだ空気の流れを つかのまの数日間 しっかり楽しむ 今日は、部屋に積み上げられ散らばった書類を整理し、 のこり一ヶ月乗り切る為の計画をたて、掃除と洗濯をし、 散歩にでも […]…