そしてわたしは、どんな毎日を、これから紡いでゆきたいだろう。 そしてわたしは、どんな人生を、これから流れてゆきたいのだろう。 どうか、見失わぬように、ありたい。 ただ日々の、ただそこにある、ありふれたその日常のなかの美しさを 一ミリも見逃さずに 感じきってゆけるように そのためならば 世界のスピードに 置いていかれようとも 一向に 構わない […]…
向こうにある トイレに話しかけてみた ” I love you. ” そしたらトイレは答えた ” I love you too. ” しばらくして、トイレから上半身はだかの男がひとり 出てくるのだった。 恋人だった。 …
辞めた方がいいと、わかっているのに、どうしても、やめられないことが、ひとつやふたつ、だれにでもあるかもしれない。 掻いたら傷が広がり、血が流れることが、わかっているのに、 気付いたら爪を立てている。 わたしが主に、コントロール不能な耽溺に長い間苦しんだのは、紛れもない「恋愛」で過去に何度も繰り返した愚かな ”誰かを愛する” という錯覚のなかで今でも忘れられない記憶が、ほんの少しだけある。 欲しくて […]…
毎日は そう 同じように繰り返されて行き ”反復”の美しさを迎えている たとえば 朝4時半に起きて 白湯を飲み 60分の瞑想のあと 香をたいて 30分間 身体を伸ばし 6時を迎えたところで 一日の食事の下ごしらえを始める為に台所に立つ 炊飯器にスイッチを入れて 弁当のおかずが大体揃い始めたころに 誰かが起きた 音がして バスルームのドアがパタ […]…