どうでもよくなってきてて、よかった。 過去の、いのちの尊さみたいなブログを読むと、必死でそれを伝えようとしてて、生きようとしてて、生への執着がすごいんだと感じる。それだけ生きることが難しかったからだけど、そこはやっとこの7月に本気で死ぬことを選ぼうとして、抜けたのだと思う。それからもタオ君とパニックに陥るたびに、死ぬ方がいいと普通に思って実行しようとするし、何も構わないとそう感じる。 生きることは […]…
9/21/23 ビニールスーツを脱いで、胎児になったこと その後。 2014年1月4日。いろいろな苦しさの終焉と。 この先男の人たちを救わなくてよくなった安堵と。 愛する人のそばにいていいという安心と。 バスケットボール位の大きさの、水晶玉のようなものの中を見ている姿が視えました。 1人で器用に生きられれない男性達が苦しみ、悲しみ、苦労しているのが見えます。どうやら、女 […]…
そもそも自分を必要としてくれている人は、別に自分と同じ場所に行こうとしてる人じゃないんだ。 多分。 りゅうじとかよいさんみたいな人たち。豊かで、多くのリソースを持ってる人たちってきっと 役割も違うし、自分を必要としてくれるってことは、まいが持ってて彼らには無いものがあるということで だからそれを、それ自体を認めてあげなければいけない。 彼らが持っていないもの。 それは、勇気だとか、全 […]…
