約2年前のいまごろ、妊娠がわかってから、 数ヶ月の間、 何度か、その「いのち」を 堕ろすことを 本気で 考えた。 中絶のできるギリギリ最後の週に、 目の前は真っ暗闇で、 両親に、ただただ泣きながら、 「本当に、産むべきなのか」と相談したこと 孤独のなかで ひたすら不安と戦いながら おなかに宿った命を守っていたわたしのからだ あれ […]…
たとえば、わたしたちは、いつから、笑えるようになったのだろうか。 すべての母親にとってそうであるように、わたしもまた、 いままで自分のなかにあった「あたりまえ」が 根底からくずされてゆく毎日を送っている。 たとえば、わたしは、にんげんというものは、嬉しければ自然と笑みがこぼれるし、 眠くなれば勝手に眠ると、そう、 思い込んでいた。 でも、実際は、産まれたばかりのそのいきものは、 一ヶ […]…
よく、出産は最大のデトックスだとか聞いていたけれども、 わたしが体験したのはデトックスというよりかは「破壊」という感じだった。 みんな口を揃えて「ほんとに身体ぼろぼろになるよね」と言うけれど、 少し落ち着いた今思い返すと、ぼろぼろもそうだけれども 一旦自分の精神と身体が完全に解体されて、散り散りになって、 もとのかたちが跡形もなくなったような場所から、 時間をかけて再生される、 そんな感じだ。 翌 […]…
なんだか、とても、長い夢を見ているような気がする。 どこからが、現実で、どこまでが、夢か、 たまに、わからなく、なる。 どちらがどちらでも、 大してかわりはないのかも、と、おもう。 たとえば今体験しているすべてのことは、 妊娠したことや、こどもを産んだことや、 ここで出会った人々や、 辛かった数週間のことや、 衝撃的に美しい夕暮れの空のグラデーションや、 屋根から伝う冬の雨音の優しさのことは、 す […]…
